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【まとめ】少年野球の問題は哀しい大人たちの問題だ(3)

 少年野球(学童野球)チームには「うちは実力主義で勝ちにこだわります」と明言しているチームもある。
 そういうチームに自ら入った親子は別として、ほとんどの親は「子どもには楽しく野球をやってほしい」程度の気持ちで入団する。

 ところがしばらくたって色々理解できるようになると、わが子の成長や活躍に一喜一憂するようになる。わが子がチャンスで打ったり、ピンチで素晴らしい守備を見せたりしたときの優越感と興奮、そして幸福感は疲れた中年期の親にとって最高のリフレッシュになるのだろう。だからもっともっとと欲をかく。

 こうしてのめり込んでしまった親の多くは、わが子がチームの指導者にかわいがられ、評価され、レギュラーとして活躍することに執着するようになる。だから家庭でも厳しい練習を課したり、監督やコーチにおもねったりするようになる。
 そうなってしまうと、もはや子どもが野球を楽しんでいるかどうかは問題ではなくなる。そんな曖昧な幸福感ではなく「試合で活躍する」という分かりやすい幸福感のみに価値を置き、それがかなわないと苛立ち、子どもを責め、「他の子にポジションを取られるかもしれない」「監督に見放されるかもしれない」という焦燥感にかられて子どもを追い詰め、自分自身をも追い詰める。

 こうした親たちにとって監督の勝利至上主義やチームの私物化は全て「利用できる悪」となる。
 「わが子の活躍」=「チームの勝ち」と指導者に刷り込んでうまく懐に飛び込めば、多少のミスではレギュラーを降ろされないし、親である自分も指導者の側のように振る舞うことができるからだ。

 そして次第に「わが子に別のポジションもやらせたらどうか」などのお願いを、まるで「チームの勝利のため」といった口ぶりで言い始めたりする。
 その目にはベンチでずっとガマンしている子、理不尽な目に合っている子は映っておらず、例え映っていても「自己責任」と突き放す。

 こうした「わが子最優先」で「快楽主義」の親たちが、結果的に身勝手で快楽主義の指導者たちを支えてきたのだ。




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