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ばる郎、転職失敗談①

この数年。ほんとに職場には恵まれなかった。


二年前に入った某老人ホームでは、直属の上司が入社二日目にして「俺、もう辞めたいんだよ~。」とまさかの退職希望発言。
どんだけ職場環境が悪いのかを早々に知らされてしまうという有様で。

その前に勤めていたデイサービスもそうなんだけど、老人施設は万年人手不足が解消されず。
入ってくる人材も正直期待値の低い人ばかりで、上司はその穴埋め出勤で疲れ果て、ほんとに日によって赤い顔してたり青い顔してたり。
あんなに顔色が手に取るように悪い人ってのは初めて見た。

上司のほかに一緒に働いてたのは、
ず~っと自分の話しかしない70代のバアサンと。
ワタシと同じ年なのに耳が遠くてだいぶお太りになられ、あちこちぶつけては食材をダメにする調理補助女子。
そして、千切りが短冊切りにしか切れない、自分のエプロンを燃やしかけてぼや騒ぎを起こす男性調理師が同僚だった。

AがBの文句を言い、BがCの悪口を言い、CがAの愚痴をいうというね。右も左もワタシからしたら一緒なんだけどねって日々。

上司の同僚たちに対する愚痴は日に日にひどくなり、最終的には家庭の問題まで愚痴られる始末。いや、勘弁しておくれって。


一年後。
自分にとっては幸いなきっかけと思い、とある手術を受けることをきっかけに退職させてもらうことにした。

退職願いを上司に切り出すと、一言も止められず、

「あなたがいてくれた間、助かったよ。ほんとありがとう。

ここは、出来る人はいちゃだめだよ。」

とまで言われた。

寂しそうな上司の、最後の本音がちょっと悲しかった。


それでも、調理の仕事は好きだった。



手術は子宮筋腫の全摘。

初めての経験だったけど、命にかかわる病気でもなかったし、しばらく休んだらまた働くつもりでいた。

のですが、その手術の際に、膀胱にポリープが見つかってしまい、まさかの再手術を勧められ。

10月の頭に、またも入院・手術と相成ってしまいました。


年末も目の前だったため、その後自宅療養というニート生活に入った。その後の人生をどうしようかと考えを巡らせていた。


数年前からやってみたいことがあった。

調理師と言っても特に得意なものがあったわけじゃないワタシ。

なので、何か技術を身に着けたいと狙ったのが点心工作だった。



一度目の入院時。たまたまコンビニのラックに並んでいたタウンワークを見ていると『有名点心の工場で働きませんか?』という掲載を見つけてしまった。


点心工場かぁ。
工場なら、無条件にたくさん作るわけだし、小籠包なんかの上達も出来るかもなぁ。

そう、思ってしまった。



けど、なんとなく。

ほんとになんとなく、やけに動き出すのに腰が重かった。

工場は京葉線が最寄りだったんだけど、駅からは20分も歩かなきゃならなかった。


ずいぶん遠いよ?

通いきれるの?

ほんとにそこで、技術身につけられんの?


自分の中の何かがそう言い続けてた。

今にしてみれば直観が働いたんだろうなぁ。


迷いに迷ったんだけど、11月に入って、とりあえず面接受けてから考えればいっか。と、うっかり行ってしまった。某有名点心工場。。。


これがねぇ。

まさにブラック工場だったんよねぇ。

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