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6月17日~18日。

約1か月間の短い期間ではあったが、
情熱と時間を注いで取り組んだ舞台の公演が無事に終了。

オーディションを受けるまでにも色々な葛藤があって、勇気を出して得られた充実感でいっぱいの6月17日。

公演期間中は仕事をほぼしていなかったので、翌日から切り替えてきちんとやろうと、打ち上げも名残惜しいが抜けて大阪の自宅へ帰った。

帰ってからは、こんなツイートをしている。
https://twitter.com/nnbarunana/status/1008384394107629568

数日体力の限界だったので、泥のように眠っていた、6月18日の朝。

大阪北部を震源とした震度6弱の大地震で目が覚めた。

1人暮らしの家は震源に近い。
縦に大きく揺れて、お皿が割れた。

揺れている最中に、どこかで「ついにこの日が来たな」と思っていた。

昨日は生きててよかったと書いたのに、
今日からは生きられるかわからないなと感じると背筋が伸びた。


実家はさらに震源に近いのだが、父は単身赴任・母はその日鹿児島へ帰省していたため、飼い猫だけが残った状態だった。
猫のお世話のため17日の晩に実家へ帰れる?と聞かれていたが、打ち上げなので難しいと思う。18日の朝に行くねと母に伝えていた。

揺れが収まり実家へ帰ると驚きの光景が広がっていて、マンション12階の揺れのひどさを思うと絶句した。

玄関の入口から靴箱が倒れふさがっていて、
くぐって入った。
すべての部屋はぐちゃぐちゃで、写真立てなども全部落ちて割れていた。

台所は食器棚から冷蔵庫からすべてのものが出ていて破片だらけ。

大型レンジもポットも炊飯器もひっくり返って足の踏み場がなく、冷蔵庫が開きっぱなしのためエラー音が響いていた。

そして、窓が、なぜかすべて開いていて、
猫が居なかった。

手が震えてきて、汗がじっとりと出た。

12階から飛び落ちたかな。どこにもいないということは、この台所の破片の下にいるのかな。

私1人ではとても起こせそうにない家具を見て、父に電話をかけた。

話しているうちにこのままでは私が危ないので家に帰ることにしたが、
もしかしたら何日間か実家に帰れないかもしれない家族のことを考えると、猫の所在が気になって仕方なかった。


自転車で自宅へ帰りながら、見捨ててきた罪悪感のようなものでいっぱいだったが涙は出なかった。
災害にあった直後は泣くというより、
逆に生きる決心のような強い気持ちが沸くのを感じた。


そして、タイミングのことを思った。

昨日打ち上げを朝まで残っていたら、帰宅困難者の方と同じ状況だったかもな。
晩のうちに実家へ帰って居たら、生きてたかわからないな。
父や母が実家へ居たら、危険な状態だっただろうな。

夕方単身赴任先から父が車なら実家へ行くことができたようで、猫が押し入れの奥から出てきたことを教えてくれた。
母も鹿児島から飛行機で帰ってこれて、全員無事だったことがやっとわかった。


こういう時、思うことはいろいろある。

心配してくれたのは誰だったかとか、自分は人にこういう風にしてあげたいなとか、わかってしまう。
私って情に厚すぎるんやなと、ショックな出来事も最近あった。
人はそんなに優しくないのかもしれん。

そんな中でも、信じることを粛々とやっていくしかないよね?

明るい話でないですが、忘れないよう書き残しておきます。

#大阪北部地震
#つらつらと書く
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