「明と暗」【アニメと漫画と暮らしの日記】

9月7日:木曜日

昨日食べ切れなかったサラダを捨てた。気付けば駅前のベーカリーが開店する時刻が近付き、慌て気味にアパートを飛び出した。
昨夜食べ過ぎだったから朝食は抜こうかと思っていたのだが、結局パンをひとつトレーに置いて、イートインスペースでホットコーヒーとともに食した。『古今和歌集』の「秋歌」を全て読み、ブルース・チャトウィンの『パタゴニア』をほんの少し読む。それでも眼科医院の開院時刻にはまだ早く、スマートフォンを見たりして時間を潰す。
久々の眼科だった。スマホ対策パンフレット的なものに眼を通しつつ診察開始を待つ。眼圧を測り、視力を測る。診察。ドライアイは良くも悪くもなっていないようだ。『処方された目薬を常に1本携帯しておく』ことを心に刻む。
天気予報に裏切られた。降水確率10%のはずなのに、小雨が降っている。雲の敷き詰められた空の下を調剤薬局まで歩いていく。調剤薬局を出ても空模様は思わしくなく、傘をさした準備に抜かりの無い通行人を見て、天候の先行きを不安がる。
成り行きのように児童センターに向かい、図書室の奥に歩を進める。漫画版『更級日記』を読む。子どもの古典の学習向けに描かれた漫画であり、学校図書室や公共図書館の児童コーナーにはよく配架されている。岩波文庫の「原作」もいちおう通読したのだが、当然のごとく学習漫画にリライトされたもののほうが頭に入って来やすい。『そうか、菅原孝標女はこんな人生を送ったのか……』と、「原作」既読者ならば把握しておかねばならないことを初めて把握したあとで、これまた学習漫画スタイルで作られた西洋美術史の本を棚から抜き出す。
市立図書館。『源氏物語』。「蛍」。いわゆる「玉鬘十帖」のうちのひとつである。菅原孝標女が恋い焦がれた物語の0.001%程度のエッセンスを味わう。

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さて本日最初に手に取った漫画単行本は『恋する小惑星(アステロイド)』の1巻であった。

数多く視聴してきたまんがタイムきらら系雑誌掲載作原作アニメの中でも、『恋する小惑星』は5本の指に入るぐらい好きなアニメだった。しかし、原作漫画は未だ読んでいなかった。読み始めて驚いた。アニメのほうが「膨らんでいる」。言い換えるならば、アニメの作り手側が原作漫画を「膨らませている」のだ。
例えば、桜井美景という地学部の副部長がいる。私はアニメ版第5回における彼女の進路に対する思い悩みぶりが『非常にいい』と思ったのだが、原作と較べてみると、アニメ版はかなり大胆な解釈をしてかなり大胆に膨らませている、と思ったのだ。私の感想である。詳しく論述などしない、詳しい論述などできない。旧い話だが、『けいおん!』が流行っていたとき、アニメ版を観てから原作に触れたときのことを思い出した。ただ、私がきららアニメでより一層好みだったほうは……。
もちろん、原作のチカラあってのアニメ化作品である。

モンロー先輩と桜先輩が引退宣言するところまで読んだあとで、途中までしか読んでいなかった「週刊少年ジャンプ」第40号に手を伸ばし、巻末の『人造人間100』までを読んだ。
今号のドベ3つが、

・ドリトライ
・テンマクキネマ
・人造人間100(最終回)

新連載が3つ来る。まず『人造人間』が抜けた。今週の内容を鑑みるに、『ドリトライ』が来週で終わるようにしか思えない、というのが私の感想。そして『テンマクキネマ』である。まさに藤巻忠俊の『キルアオ』と同期新連載で明暗分かれてしまった。実績組作者の新作という意味では川田の『アスミカケル』にも追い抜かれてしまった。それほどまでに『食戟のソーマ』の晩節が美しくなかったというのだろうか。言っておくが私は『テンマクキネマ』を連載初回以来毎号欠かさず読んでいる。『食戟のソーマ』という作品に対しても心象は悪くない。漫画単体の好みで言えば、『黒子のバスケ』よりも『食戟のソーマ』のほうが今なお魅力が尽きていないとさえ思ったりするのだ。ただし、『キルアオ』もまた、面白い。そしてなおかつ、『キルアオ』がウケて残らんとし、『テンマクキネマ』がウケなくて去らんとしている理由も、そこはかとなく解るような気がしてしまうのだ。明と暗。嗚呼、蜜岡ノレンよ、倉井雛希よ……。
ところで、『アイスヘッドギル』が読んでいて楽しい。

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カレーライスを食ってアパートに戻った。

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