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【ゲーム批評祭参加】14年の時を超えて、killer7をプレイする

はじめに

世の中には、強烈な個性を持った作品が存在する。世界観や雰囲気が独創的であるがゆえに、作品に引き込まれてしまう。そうした作品の一つが「killer7」である。

2005年に発売された本作は、その特異な作風によって、熱狂的なファンを生み出した。当時はゲームキューブとPS2用のタイトルとして売り出されたのだが、2018年11月16日に、PC版がSteamで配信された。十数年の時を超えてPCに移植されるほど、killer7の人気は根強い。

筆者は2019年の4月末に、はじめてこのゲームをプレイした。本稿では、最初に発売されてから14年経った今、プレイして感じたkiller7の魅力について論じていく。

ゲームシステムから見たkiller7

 本作の特徴は、なんと言っても「人格交代」のシステムだ。プレイヤーは「スミス同盟」と呼ばれる7人の殺し屋集団を操作してゲームを進めていくのだが、なんと、この7人は「多層人格」という超能力によって、1人の人間に内包されているのである。多層人格は多重人格とは異なり、人格が切り替わると外見や所持する武器、能力までもが変化する。7人の人格を切り替えて武器や能力を状況に合わせるのが、本作の醍醐味である。

人格交代のシステム、および多層人格という設定によって、多重人格をうまくゲームシステムに組み込むことが可能となっている。多重人格に興味を持ったことのある人にとって、この設定は非常に面白く感じられるだろう。

人格交代のシステムは魅力的ではあるが、他のシステムには問題点がある。それは、移動システムと、戦闘システムのかみ合わせが悪いという点だ。

ゲームシステムの基本はアドベンチャーに近い。フィールドを歩き回り、ところどころにある仕掛けを解いくことで先に進む、というのが基本の流れだ。移動する際は一本道を前に進むしかできないが、分岐点に差し掛かった場合は、進む先を指定することで方向転換ができる。

しかし本作は、アドベンチャーと並行して、戦闘もこなさなければいけない。戦闘のシステムとして採用されているのがFPSである。フィールドを進む間、透明な敵がどこからともなく現れてくる。この敵「笑う顔(ヘヴンスマイル)」の発する笑い声を頼りに銃を構え、「スキャン」することで初めて姿が見え、攻撃できるようになる。

この戦闘システムは、一本道をただ進むことしかできない移動システムとの相性が悪い。特に、分岐点の近くに敵がいた場合、どこに敵がいるのかが分かりづらくなる。それゆえに、銃を構えたものの視界の外から敵に襲われ、ダメージを食らうということがしばしば起こる。

慣れれば操作のフラストレーションも減るが、操作がし辛いことには変わりがない。アドベンチャーとして考えるなら戦闘が煩わしく、FPSとして考えるなら移動に不満が出る。上述の点を考えると、killer7はお世辞にも快適に遊べるとは言い難い。

なぜkiller7に惹かれたのか

ゲームシステムの面だけを見ると、killer7は独創的ではあるが、優れたタイトルであるとまでは言えない。それでもなお、私を含め、この作品に魅了された人々がいる。一体なぜだろうか。

本作の魅力として挙げられるのは、「独特な世界観」や「強烈なキャラクターとセリフ回し」である。実際に、陰影の濃いグラフィックや、登場人物の個性の強さ、そして皮肉めいたセリフ回しは非常に印象的である。

しかし、ただ単に設定が奇抜なだけであれば、ここまで根強い人気は出なかったであろう。本作の「独特な世界観」とは何だろうか。また、強烈なキャラクターとセリフ回しによって、本作は何を表現しようとしたのか。そして、killer7の魅力は何であろうか。筆者は本稿で、これらの問に答えを出したい。

筆者の私見だが、本作の魅力は「9.11に影響を受けながらも、独自のやり方で世界情勢の不気味さを表現したこと」である。後に詳しく説明するが、killer7の世界設定は9.11を連想させる。しかしながら、killer7のストーリーは、テロとの戦いやテロの問題にとどまらず、国家の陰謀や政治の後ろ暗さ、得体の知れない世界情勢を描こうとする。

このように、抽象的で根の深い問題を捉えようとする姿勢、物語が進むに連れて現れる謎こそが、本作の魅力であると筆者は考える。

9.11を連想させる世界

killer7が9.11からインスピレーションを得ているという点について、少し説明しよう。

本作の世界は、我々が生きてきた現実の世界によく似ている。現実世界との大きな違いは、過去にあらゆる紛争が一度終結し、(表向きは)すべての武装が廃棄されていることである。そして、本作のストーリーは「合衆国」と呼ばれる一つの大国を中心に展開される。(言うまでもないが、この国は実在のアメリカ合衆国をモデルにしている。)

表向きはすべての紛争が終結したにもかかわらず、ある日突然、「笑う顔(ヘヴンスマイル)」という化け物による自爆テロが合衆国各地で発生する。テロを食い止めるために、政府お抱えの殺し屋「スミス同盟」、別名「killer7」が笑う顔を駆逐する。これが、本作の大まかなあらすじである。

合衆国という舞台、「笑う顔」による自爆テロ、これだけで9.11がモチーフになっていることがわかる。

更には、架空の日本を登場させることで、作中に日米関係の問題をも取り入れている。1章「落日」は、日本がどこかの国から攻撃を受けるところから始まる。この世界でも日本と合衆国は同盟関係にあるため、本来ならば日本を防衛する手はずになっていた。しかし、徐々に力をつけてきた日本を疎ましく思う合衆国政府は、日本の防衛を放棄した。そして、この混乱に乗じて日本側の大物政治家を暗殺し、日本の息の根を止めるよう「スミス同盟」に指令を出す。

このあらすじを見て、ありえない設定だと思うかもしれない。しかし、アメリカが本当に日本を守ってくれるのか否かという問題は、今なお残されているということも事実である。「落日」の章では、突飛なストーリーの中に、日米同盟の不安定さを描いている。

このように、プレイヤーがどこかで見聞きしたような世界情勢をゲームの中に反映させることで、ストーリーにある種の説得力を持たせている。

謎の多いストーリーと、その謎が表現するもの

ここまでは、killer7がいかに現実世界から影響を受けているかを論じた。しかし、本作は必ずしも現実の問題を全面に押し出しているわけではない。序章にあたる0章「天使」では、笑う顔とその親玉との戦いがクローズアップされる。そのため、テロとの戦いが本作のテーマであるように思わされるが、章が変わるごとにテーマ、および標的も変化する。

1章「落日」に関しては先述したとおりだが、2章「雲男」ではベンチャー企業のCEOが、3章「邂逅」では人身売買を生業とする犯罪者が標的となる。4章「分身」にいたっては、なぜか戦隊モノのヒーロー達と果たし合いをする羽目になる。

そして、終盤の5章「笑顔」では急展開を迎え、「合衆国の陰謀を暴き、スミス同盟の謎を解き明かす」ことが目的となる。上述した章どうしの連関は、必ずしも整合的とは言えない。むしろ、一見すると繋がっておらず、章ごとに話がバラバラであるようにも感じられる。

 また、本作のストーリーには謎が多い。例えば、「スミス同盟はどういった存在なのか」、「笑う顔とは何なのか」という疑問に対しては、断片的な情報が与えられるのみで、筋の通った答えを得ることができない。また、ときに意味のわからないセリフや演出が挟まれることもある。

各章の間に統一性がなく、また説明されていない謎が多いことから、しばしば「意味ありげに見せかけて何も考えていない」と評されることもある。

しかし、killer7全体を見てみると、大体の章に共通する点が見つかる。それは世界情勢の得体の知れなさや政治の後ろ暗さ、国家の陰謀といった「現代社会の影」を描き出そうとした点である。

詳細は紙幅の都合上省くが、「雲男」では急成長するベンチャー企業に対する猜疑心が、「邂逅」では人身売買シンジケートの残虐さが、そして「笑顔」では、国家の根幹に関わる陰謀が、フィクションの中に描き出されている。突拍子もない陰謀論に見えるところはあるものの、どこか本当にあり得るのではないかと思わせるシナリオが、プレイヤーを惹きつけてやまない。

また、先述したストーリーの不整合や、不条理さは、結果としてkiller7の物語を際立たせてもいる。謎の多さはストーリーの難解さは、かえってプレイヤーの想像力を掻き立て、様々な謎を解釈するように駆り立てる。何より、ゲームを終えても全容が解明されない難解なストーリーそのものが、「巨大な陰謀や複雑な事件を前に、個人ができることなどたかが知れている」という人間の無力さを暗示しているようにさえ感じられる。

 本作の魅力は、人物や設定、システムの独特さだけではない。現代社会の影を描こうとするストーリーや、不条理さが表現する複雑怪奇な陰謀こそが、killer7が根強い人気を誇る理由ではないだろうか。

あとがき

今回、killer7のレビューを書き、ゲーム批評祭に応募させていただいた。

応募期間中はゲームのレビューを書くことの難しさを痛感し、上位11作品が発表されたときはその文章の素晴らしさに感嘆した。ゲーム批評祭を通じて、得難い経験をしたように思う。

さて、上位11作品を見たあとに自分が書いたものを振り返ると、「自分の文章は全然ダメだなあ」と思う。

私の書いたものは、レビューというよりストーリーの解説記事といったほうがより適切だろう。私のやりたかった「killer7のストーリーを考える」ことは、ある程度できたように思う。

しかしレビューあるいは批評として考えると、他者に読んでもらうための配慮が欠けていることは否めない。今読み返しても、未プレイの人に魅力が伝わらない、既プレイの人にも同意していただけるかわからない、そういう文章だと自分でも感じる。

上位の批評を読んでみると、ほとんどの作品が、自分が魅力を感じた作品を、他の人に伝えるために言葉を尽くしていた。

批評する角度はそれぞれ違うものの、「自分の体験や想いを伝える」という点において、どの批評も卓越していたといって差し支えない。

そして何よりも重要なのが、どの作品を読んでも「このゲームをプレイして、心を動かされた」という想いがひしひしと伝わってきた、ということである。

ある人はゲームプレイの流れを軽快な語り口で書き、またある人はゲームと歴史の繋がりを示した。また、一般的には理解されないであろうゲームの良さを、客観的に伝えている人もいた。そして、そのどれもが、ゲームを味わい、ゲームから深い感銘を受けたことを追体験させるような文章だった。

ゲームの批評をする上で、文章の巧さが大切なことは言うまでもない。しかし、それ以上に大事なのは「ゲームに心動かされること」だということに、ゲーム批評祭を通して気づくことができた。

上位11作品に選ばれた人や、選ばれなかったけれども素敵な批評を書いた人々に並ぶことはできないかもしれないが、私もゲームに心動かされ、自分の思いを文章にしていきたいな、と思う。

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