ハンチ(6)

「なにお前、まだ着いてないの?」

 はるの言ってることがちょっと信じられなくて時計を見た。午後十一時ちょうど。アムトラックが時刻通りに運行しないのは当たり前とはいえ、今日はまた一段と遅い。俺が経験した最大の遅延は一時間。三時間というのはいくらなんでも異例だろう。

「いまどこにいるんだよ?いや、それはわかってるって。どのあたりの駅なんだよ?」電話の向こうがざわざわしてる。アムトラの駆動音?人の声だろうな。「え?それってどこだっけ?一つ前?二つ前?二つ前か」

 はるの声はいつも以上に弱々しい。よし、元気付けてやろう。

「明日みんなで集まろうって話してんだよ。お前も帰ってくるしさ。なつんとこでみんなで飲もうぜ」

 はるは「あー、それ」と、ちっとも元気じゃない声を出した。それともいまのは溜息かなんかか?「さっきなつから電話があったから聞いてます。さっきって言っても一時間くらい前だけど。あのときはまだ元気だったんですけどねー」

「なんだよお前、元気出せよ。もうすぐ着くんだろうが」とは言ったもののそんなもん出るわけないか。

「もうすぐって一時間後くらい?」

「わかんないけど、二駅なんてそんなにかかんないだろ?」

「今日はもっとかかるかもね」

 はるがくだけた言い方をするときは機嫌が良すぎるときか、疲れ果ててるときだ。俺のほうが四つ年上だからって普段は丁寧語を変えない。それはなつもさきもだけど。留学生同士、しかもアメリカで、年齢なんて重要じゃないと思うのに。

「まあ、とにかく、もう近くまで来てることは間違いないんだから。きっとあと少しだ。がんばれ」

 はるは、これみよがしに溜息を付いて、「はーい」とやたら間延びした返事をした。

「じゃあ、なんかあったら電話くれていいから。あと、わかってると思うけど、こっち、めちゃくちゃ寒いしめちゃくちゃ雪だから」

「知ってる。窓の外側凍りついてるし」

「じゃあな」

「じゃあ」

 電話を切ると、細く開けた窓から、駐車場の照明がたてるジジジジィという虫の声みたいな音が聞こえてきた。オレンジ色の灯りに照らされて、大粒の雪が降ってくるのがよくわかる。

 二本目の煙草に火を付けた。今日吸った煙草は二本じゃすまないが、はると話し始めてから二本目だ。話し終えてからならまだ一本目か。

 アパートから見える景色はかなり限定されてるが、斜めにダウンタウンが見える。今日一日でずいぶん雪が積もった。道路の雪は固められて塩が撒かれてる。雪が街灯の光を反射していて、ダウンタウンは明るく、むしろ暖かく見える。色合いだけなら暖炉のそばにいるみたいだ。シカゴだってそうだった。飛行機から見えるシカゴの街は全体が柔らかい明かりに包まれていてほっこりしたのに、ボーディングブリッジですでに凍えるような寒さだった。この季節の雪国の街は擬態がうまい。

 二本目を消して三本目に火を付けた。三口吸って消した。外は寒すぎる。窓を閉めると急に静かになった。もう一度はるに電話してやろうかとも思ったけど止めた。明日になれば嫌でもあいつはこの街にいなきゃいけないんだから。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?