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帰り道

父親が野菜を育てている畑まで一緒に歩くのが、週末ごとの日課になっている。
父は定年退職後、野菜作りを自分のライフワークとして決めて取り組んでいる。
昨年は母の入院、退院、死去、葬式と、全く予想もしなかったイベントが目白押しで、目の回る勢いだったが、その暴風雨を通り過ぎた今、父親と凪のような心境を共有していて、親子という関係はもちろんだけど、バディというかな、戦友というかな、そういう心境で畑までの道のりを共に歩いている。
そんな二人にとって、ちょっと特別な道のりなのだが、この道には別の感慨もあるのです。

中学2年生ころから、学校に行きにくくなってしまった。
理由を、当時は、いろいろこねくり回していたのだけど、30年たった今なら、ずばり芯を食ったことが言える。いじめられていたのだ。
ヤンキーの人たちに叩かれたり、お金をねだられたり、そういうのが嫌になって、学校に行けなくなってしまった。
親にも先生にも言えなかった。
というか、何を誰に訴えればいいのかが、わかっていなかった。
なんで、叩かれるのか、なんで、お金をくれと言われるのかがわからないし。
それが、普通のことなのか、異常なのかも、わからなかったのです。
でも、嫌だった。だから、学校には行かなくなった。

お腹が痛いので行けないという僕を連れて、あちこちの病院に連れて行ってくれた母には感謝している。
バリウムを飲んだり、胃カメラを飲んだり、いろいろする中で、胃に小さいポリープができているという診断を得たときは、なんらかの理由がついたことに、ほっとした。
実際、大きなストレスが、かかっていたんだろう。薬を飲みながら療養することとなった。

そのころ、新しい友だちができた。
きっかけは覚えていない。
土曜日の夜に僕の家に集まってるから、来たらいいと誘われた。
楽しいよ。

土曜の夜に、演技であくびをしながら、もう寝るわ、と言いながら2階の自分の部屋に入った。
布団を敷き、座布団を折りたたんで入れて、あたかも人が寝ているかのようなシルエットを作り出した。
窓を開ける。
息を飲む。
昼間のうちに、自分の靴は置いてある。
履いてジャンプして飛び降りる。

大きな道は補導されるかもしれない。
田んぼのあぜ道を走って、誘ってくれた友だちの家に走っていく。
見つかることの不安、それ以上に大きな期待。
こんなドキドキは、初めてだ。
友だちの家にたどり着き、入れてもらう。
やっと来たな。やろうぜ。
すでに何人かが集まっていて、ファミコン大会が始まっていた。
それからの時間。
深夜までの時間。
ディスクシステム。
食べたポテトチップ。
自販機に買いに行ったジュース。
友だちのお兄さんの部屋で見たエッチな雑誌。

さんざん遊んで暗闇の中、家に帰り、2階によじ登って自分の部屋に入り、何か月ぶりかの深い眠りを味わった。

僕は、学校に行けるようになった。
土曜日ごとの友だち宅への訪問は高校受験が近づいても続いた。

この道、僕、土曜の夜に抜け出して、友だちの家に遊びに行ってた道やねん。
畑に向かいながら、30年以上たって、父に打ち明ける。
そうかー。軽く父に受け流される。
母は、どうだろうか。気づいていただろうか。気づいていながらスルーしてくれていただろうか。
どちらの可能性もあるが、真実は闇の中だ。
あの日の帰り道みたいに。

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