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【北方領土自由訪問1日目】「俺たち本当は絹張じゃなかった」

祖父の故郷「国後島」へ行ってきたときの記録です。

※今回の記事ではまだ上陸しません

事前の手続きが面倒くさいし、全然自由じゃない。

自由訪問は毎回訪問する島と上陸地が変わる。

天候や海の状況次第では上陸できないこともよくあるらしい。だから自由訪問に参加したからと言って必ず自分が希望する場所に上陸できるわけじゃない。

今回は何年かぶりに国後島の祖父の出身地付近に上陸できるかもしれないと誘いを受けて参加することを決めた。

事前の手続きがなかなか面倒だった。
病院に行って医師の診断書をもらわないといけなかったり、証明写真が必要だったり、酒、タバコ、カメラ(メーカーとか製造番号も)など持ち込み荷物を書き出して提出しないといけなかったりする。

北方 領人って…

"一応日本"だからビザやパスポートは必要ないけど、普通に東南アジアとかに旅行に行く方が簡単だろうなと思った。
基本的にはずっと船の中にいて特にすることもないし、島に上陸しても常にロシア人ハンターが同行するし、散策しようにも道なんてないから行動範囲めっちゃ狭いし、自由訪問どころか「不自由訪問」だった。

【自由訪問1日目】2018年8月13日

お昼前に根室市千島会館に到着した。

会館の中に入るとすでに今回の訪問団の団員が数名集まっていた。
お年寄りだけかと思っていたけど小学生や中学生くらいの子どもたちも数人いた。
自分と同世代の団員はほとんどいなかったけど、同行した内閣府の人(?)に同じ年くらいのイケメンが1人いた。

バスに乗り込み根室港へ移動

千島会館から根室港までバスで移動した。
国後島へは「えとぴりか」という船で行く。

根室港に到着して出発式が始まった。
根室市長とか団長が挨拶をして、出発前の記念写真を撮った。

国後島までは船で行く。
北方四島交流等事業に使用するため建造された「えとぴりか」だ。

昔はもっとボロい船で島まで行っていたらしい。
島へ渡るには沖で一度「艀(はしけ)」という小さな船外機付きの船に乗移らなければいけないらしく、昔の船だと艀に乗り移るのが命がけだったらしい。

2012年から交流事業に使われているこの「えとぴりか」は、バリアフリーで高齢者や車椅子の方でも乗船できる。
もっと早くこの船が使われていれば僕の祖父もまた自分の故郷の土を踏むことができたかもしれない。

ジョバンニの島という北方領土を舞台にしたアニメ映画?の人たちが見送りに来ていた。主人公の少年のモデルになったという得能さんというおじいさんも来ていた(写真中央のおいじさん)。

団長から順に団員1人ずつ名前を呼ばれて、船に乗り込んでいく。
関係者たちに見送られながら全員が乗船し、出港の合図と同時にジョバンニ御一行が

「いってらっしゃ〜い!」

と絶叫する声が響いた。ちょっと怖いくらい気持ちのこもったお見送り。

ゆっくりと船は岸から離れて外海へと向かっていった。
その間に何回もジョバンニ御一行の絶叫が聞こえていた。

波は穏やかだけどうねりが大きく、船はゆっくりと揺れている。
船酔いが心配だ。

この日は国後島の古釜布沖まで移動して、そこで停泊する。

14:00 船内食堂で昼食。
カレーライスがめちゃくちゃうまかった!
レトルトかと思ったらちゃんと作ってるし、とろっとろのモツ(スジ)が入ってて感動した。また食べたい。(写真がなくて申し訳ない…)

簡単なオリエンテーションのあと自由時間。

返還運動が趣味みたいになってる

元島民のおじいさんに少し話を聞けた。
やはりロシアに対して嫌な気持ちを持っているようだったし、日本の外交批判がすごかった。
終戦の頃の話や、島から北海道へ引き上げてくる時の話はやっぱりドラマがあって、悲しい話なんだけどおもしろかった。

前にも書いたけど、この自由訪問はその年ごとに毎回上陸する場所が変わる。だから多くの参加者は自分の暮らしていた地域か、その近くに上陸するときに合わせて参加の申し込みをしている。(たぶん)

このとき話を聞いたおじいさんは、とにかく島に行けるならどこでもいいらしく、毎回申し込んでるそうだ。
今は元島民の方も高齢化していて、自由訪問に参加したくてもできないという方が増えているらしい。うちの父や僕のように2世、3世で参加する人も少なくなっているようで、一般参加者も募集してるとかしてないとか。(どっちやねん)
きっとこうやってみんなと船に乗って島に来るのが趣味みたいになってるんだろうなと思った。それが悪いとは全く思わないけど、ここにもかなりの税金が使われてるんだよなって思った。

やることがないから「寝るか酒飲む」しかない

とにかくやることがない。部屋に戻って昼寝をした。
この部屋は俺と父と、父と同い年くらいのTさんの三人部屋。
部屋の定員は8人だからとても広々使っていた。他の部屋も入口の部屋割りを見る限り三人部屋を1人で使っているなど、かなり余裕を持たせた部屋割りになってる。昼寝のあとは本を読んだりして時間を潰した。

18時に夕食。
サバの味噌煮とチキンソテーとサラダ。これは普通だった。父さんが持参したビールも少し飲んだ。お年寄りばかりだし特に楽しく話して盛り上がるわけでもないんだけど、久しぶりの船旅でちょっとわくわくしてるし、なんだか旅行のようなお通夜のような、不思議な気持ちだった。

船内には団員が自由に使える冷蔵庫がない。その代わり食堂には大きなクーラーボックスが置かれていて、団員が持参した飲み物を入れていた。

実は俺たち絹張じゃなかった話

部屋に戻り、酒を飲みながら父から絹張家の先祖のことや、国後で住んでいた部落のことなどを地図を見ながら教えてもらった。加えて今までよくわかっていなかった親戚関係についても詳しく教えてもらうことができた。

そしてこのとき、父からの衝撃の一言が飛び出した。

「本当は俺たち絹張じゃないんだよね」

えぇー!!

これについては説明がややこしいので、僕がまとめた家系図を見ながらざっくり解説していく。
少し長いけど昼ドラみたいな話なのでおもしろがってください。

まずは絹張与兵衛さんと、その息子のしんたろうさんが漁業で一旗揚げようということで茨城県からはるばる海を渡って国後島にやってきたそうだ。
しんたろうはそろばんが得意だったらしく、旅館の帳場さん(会計?)をしていた。

その旅館が「古谷旅館」だ。

しんたろうはなんと、自分の勤め先である古谷旅館の嫁である「シナ」さんを寝盗り、自分の嫁にした。

このとき、しんたろうはシナの息子を自分の息子として育てはじめます。
その息子が僕の曽祖父なのである。
しんたろうとシナの間には他に子どもはいなかったので、もともと古谷だった僕の曽祖父が絹張の性を継いだということになる。
こうして、苗字は絹張なのに絹張の血が一滴も入っていない、ビールなのにアルコール0.00%のノンアルコールビールみたいな絹張家の歴史が始まったのだ。

なので、当然僕にも本物の絹張家の血は通っていないのだ。

まさか自分が絹張じゃなかったなんて…
この旅で一番の衝撃だった。
なんだよ。俺たち古谷じゃん。俺は古谷蝦夷丸じゃん(←もはや原型ない)

この他にも「え、それ大丈夫なん!?」と思うほど狭い親戚関係の中で近親婚や養子縁組(もちろん法律の範囲内。だと思う)が多発していたこともわかった。
昔はこういうのが当たり前に行われていたそうだ。

緊張と不安、そして期待。

いつのまにかiPhoneの時間が自動で時差修正されていて、2時間進んでいた。「もう23時!?」と思ったら日本時間ではまだ21時だった。

翌日の朝食は5時。
その後入域審査(入国ではなくあくまでも入域)。朝早くから島に上陸して慰霊祭を行い、その後3班に分かれて島の散策や墓地の捜索を行うらしい。僕は父と一緒に先見隊としてみんなより先に島に行くようだ。

古釜布にはロシア人も多く住んでいて、建物やお店も普通にあるらしいけど、この自由訪問ではそうのようなロシア人が生活しているところへは行かないらしい。(ビザなし交流ではいけるんだってさ)

島に上陸すると道無き道を進み、かなりサバイバルな感じになるそうだ。
不安もあるけどこういうアドベンチャー要素の強い体験は大好きなので、かなりワクワクしている。ロストみたいじゃん。

乗船前に酔い止めを飲んだからか、船が大きく揺れていても全く酔わなかった。

風呂に入った。船内にはそんなに大きくはないけど綺麗な浴室がある。
船の揺れに合わせて大きく揺れる湯に浸かりながら、翌日の上陸に向けて気持ちが高まっていた。
明日、いよいよ国後の地に立つんだ。

初日はこれで終了。
次回【北方領土自由訪問2日目】につづく。


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