『いい人』

「まっすんは誰に話を聞いても『いい人だ』って言われるよね」
なにかの話の途中でそういわれた。とても嬉しいことだ。ところが、『いい人』というと少し概念が宙ぶらりんな感じがする。一度は聞いたことがあるだろう。「『いい人』っていうのは、『どうでもいい人』のことを指す」という話。もちろん彼ら彼女らから常日頃どういう扱いや接され方をしているかでそういう意味ではないことは分かっているし、自分もそこまで自分自身を卑下するようなことはしないが。では、ここでいう『いい人』というのはどういうことを指すのだろうか。

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話を少し逸らそう。自分はとても周りの大人たちに可愛がってもらっている。飯に連れていってもらったり、遊びに連れていってもらったり。何人かに何故そんなによくしてくれるのか聞いたことがある。そしたらこういわれた。

「お前んとこの親(おじいちゃん、会社の社長)には世話なったからのぉ」


ビックリした。もちろん僕にはなんの力もないし、なにができるといわれるとなにもできない。のだが、自分の知り合いや家族達がした世話が巡って自分に還ってきた。
感謝の意を告げるとこう言われた。

「そういうもんや。俺に返さんでええ。お前も誰かにそないしたったらええねん。そしたらまた巡って戻ってくるかもしれん。そない思たらおもろいやろ?」

本当に涙が出そうになった。今こうして思い出してる時も涙ぐんでしまう。それほどまでに衝撃で感動したのだ。自分は今までこの人のことを「『いい人』やなぁ」と思っていたし、どうにか返せるものは返していこうと思っていた。でも違った。この人達(可愛がってくれる大人達)は誰かから受けた施しを次の世代、その次の世代に還しているのだ。話を聞いて自分もそういう環の中に入りたい、誰かにとっての『いい人』になりたい、そう思うようになったのだ。

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話を戻そう。つまり自分は自ら望んで『いい人』になりにいっているのだ。そう在りたいと思うがゆえに。だから『いい人だ』と言われるのもありがたく褒め言葉として受け取っている。もちろん誰の『いい人』になるのか取捨選択の権利は自分にあると思うのだが、自分の好きな人々の『いい人』であれるのなら自分は満足である。が、このnoteを読んでくれた自分の好きな人々が、誰かにとっての『いい人』になってくれたらな、と願う。

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