<オリンピックの中止について>

来年東京五輪を仮に中止しても、世界のアスリートの祭典を日本で実現することは必ずしも矛盾しない。そのことについて書いた。
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オリンピックの中止を求める声が46.5%あるそうだ。ある調査会社によるネット調査の結果だ。電話調査の数値は43.7%。ネット調査の結果と大差はない。
これが日本人の大多数の意見ならば、来年の東京五輪は中止になるだろう。
ところで中止を希望する人の一番の理由は何だろう?調査にそのことは書かれていなかった。
しかし一番の理由は安全なのではないかと推察する。大勢の外国人観光客の流入、観客席での密集、感染後の夜の街での密集、などなど。
また他者への思いやりもあるだろう。世界で困っている国がまだあるのに、日本だけ経済効果を優先して浮かれていていいのか?という気持ちを持つ人がいると思う。
もちろんコロナで打撃を受けている人なら、一大商業イベントを当て込んで儲けようと企む人に対して怨嗟の気持ちが首を擡げてもしかたない。
さて私はというと、自身が市民ランナーであるし、スポーツファンでもあるので、五輪のために命を削って鍛錬してきたアスリートのことを思うと胸が張り裂けそうなほど残念だ。
一方安全を願う一人一人の気持ちにも心から共感する。私とて進んで病気になりたいとは思わないし、流行性感冒が一日も早く終息することを願っている。
また世界に困っている国があれば、進んで援助の手を差し伸べる政権を支持するだろう。
ところでこんな中、東京五輪を中止し、尚且つ国民と世界のアスリートの健康を守り、そのうえで世界のアスリートの自己表現の場を日本が提供するということを、同時に実現することはできないかとも思案している。
例えば、IOCが統括する五輪は早々に辞退をする。その上で日本独自のアスリートのエキシビションを別途開催してはどうだろう?入賞者には当初贈呈予定だったメダルをさしあげても良い。古い携帯から寄せ集めた貴金属で作ったエコメダルだと自慢していたのだから、日本人からの土産だといってプレゼントしたらよかろう。
施設は当初予定していた施設を利用したらよい。もともと使う予定だったのだから大丈夫だろう。
しかしそんなイベントに来るアスリートがいるのか?いないかもしれない。いるかもしれない。なのでまずは来たいアスリートを募れば良い。アスリートや関係者の渡航費や滞在費は?それについては主催する競技団体が予算を発表して、クラウドファンディングで資金を募ってはどうだろう?
例えば、陸上でこの人を見たいという人の来日に必要なのはいくらいくらというのがネットで発表されて、資金が集まったら、その選手はクラウドファンディングの資金で来日できる。資金が集まらなかった、すなわち不人気のアスリートは諦めるか、もしくは自国で資金を調達して、着たければ来る。気が変わったら辞退する。
一方、観客については、日本国内にいる人に限定する。海外からの旅行客の流入は一部の日本人の不安をあおるからだ。
観客席での環境は、ガイドラインに従ってソーシャルディスタンシングを実践する。すでに野球場等では実践されていて社会的に容認されているので、混乱、動揺、非難等は生まないだろう。
では誰が会場で観戦できるのか?当然クラウドファンディングで出資をした人が優先されるべきだろう。スポーツに関心の無い人は、そもそも出資しないし、安全が大事なら人の密集するところには来ないだろう。
日本独自のアスリートの祭典は、観客全員で撮影をし、それらのドキュメンタリー作品の品評会を後日実施しても面白い。改めにプロに頼む資金などは、どこにも無かろうが、金を払ってでも作品を見てほしいアマチュアは世界中にごまんといる時代だ。それが情報化社会である。
手作りのエキシビションに来てくれたアスリートのことは、クラウドファンディングに出資した人たちみんなで「お・も・て・な・し」してあげたらよかろう。もちろんそこでもソーシャルディスタンシングは順守されるべきだ。世界のトップアスリートにウィルスを手土産に持ち帰らせたい日本人は一人もいないし、屈強な肉体の中で生き延びた最強ウィルスをもらいたいという日本人スポーツファンもいないと思う。
いずれにせよ、経済面ばかりが取りざたされるオリンピックだが、「スポーツ交流を通じた平和の希求」という根本の精神を日本人一人一人に忘れては欲しくない。そしてその実現はIOC主導の東京五輪である必要はないことを念押ししたい。
日本人は平和が好きな国民だ。おもてなしも得意である。日本に来たゲストで日本をボロクソにいう人は少ない。こうなる前は、世界中のアスリートが東京に行きたいと思っていた。本当なんですよ。その人たちの気持ちを、汲み取る心の余裕が、流行性感冒の終息と共に芽生えることを祈ります。
今は日本人が別の日本人を攻撃する内ゲバが起こるほど余裕を失っている私たち日本人だけど、時間が経てば私が考える日本人の良さや得意なことが必ず開顕(かいけん)されると信じています。