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一緒に笑える人

 この前、SNSでのある人とのやり取りでおなかを抱えて笑うような出来事がありました。この面白さを誰かに分かってほしいと思うのですが、この時の話はどう上手に話したとしても他の人には伝わらないことだと思いました。一つ一つの言葉そのものが面白いわけではなく、その時の状況や流れ、偶然の積み重なり、関係値など全てを合算した上で、その二人にしか分からない面白さだと思うからです。つまり、ある人との話で笑うということは、そこに共通して理解している何か、が存在しているということになります。

 世の中にはお笑い芸人というものがいて、たくさんの笑いを生み出しています。そこにあるのは一般常識などに照らし合わせた面白さであることが多いです。なので、風習や文化など、日本人一般に伝わりやすい面白さが受け入れられやすいと言えます。そこにも共通した認識がないわけではないですが、深い部分で結びついているわけではありません。そのため、状況や言い回しなどに工夫を重ねないと、面白さが伝わらないということになります。

 一方で内輪での話や、親しい人との会話の場合、好きな物や、体験などがより深いレベルで共有されています。なので、ほんの些細な言葉や、ちょっとした出来事でもおなかを抱えて笑うことができます。笑いのセンスが似ているから一緒に笑えるのではなく、ベースにある共通認識や共通感覚があり、同じ時間を過ごし、同じ経験をしているからこそ、笑えるわけです。
 つまり、「話していて一緒に笑える人」は、その時何かで通じ合うことができた相手だと思うわけです。少ない言葉やできごとでも一緒に笑うことができれば、それだけ深いレベルで何かを共有できているわけです。
 笑うってそういうことなんだなぁ、一緒に笑える相手ってそういうことなのかなぁ、と思った出来事でした。

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