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区切りが必要

人生にはチェックポイントがある

写真は約1年かけて塗装し終わったダークソウルのフィギュアの一部です。やっと区切りができた。
人の一生というのは死ぬまで日常の繰り返しなのですが、そんな中で新年を祝い誕生日を祝い、はたまた冠婚葬祭の儀式が挟み込まれてある種区切りのようなものがあると思うのです。本でいう章立てというか。
何かを終わらせないと(儀式を行わないと)人間はいつまでもダラダラとしてしまうので社会全体がこうなったのではないか…と思っています。
締切のない仕事はダラダラしがちです。また、特に期限の決めていない事でも区切り(作品の完成など)、ひと段落がつくと充実感と新しいプロジェクトへの野望が湧いてくるんですね
最近ではクロッキー帳を終わらせた時とかによく思います。特に期限やノルマなど設定していない事でも「終わらせた」という充実感が楽しくて続けられています。デジタルにはないメリットだと思います。
一方でデジタルで描く絵には蓄積がわかりづらいので、Twitter上で「今月描いた絵のまとめ」等で意図的に「区切り」を作っています。

「積み」を崩して「積み上げ」たい

私には絵を描く趣味以外にゲームとプラモがあるのですが、どちらも「積み」いわゆる買ったのにクリアしてない、組み上げてない状態にものも多数あります。これらを崩して、クリアした・完成させた実績を積み上げたいと思ってます。(何で毎日時間があるのに出来ないんだろう)
趣味で楽しいはずなのに、億劫で苦行にすら感じる事があって難しいなと思います

飽き性であちこち手を出してしまう自分との戦い

表題通り、飽き性なのであちこち手を出して積みゲー積みプラ積み紙?が散乱しているので一つでも多くケリをつけたい。区切りにしたいと思っています。複数並行で飽き性の特性を活かせてるとは思うんですけどね
焦ってもしょうがないので、ぼちぼち行きます。

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