名前がなくても、残らなくても良いかなと思った話

web系でSEの仕事を色々していましたが、これゲーム系だったらスタッフロールとか名前掲載されてたのに、実績として証明できるものがないのは少し寂しいなー、職務経歴書には書けるけど…と以前は思っていました。

しかし最近はソシャゲの場合などはスタッフロールやクレジットがないものもあるそうですね

あんなにクオリティの高いゲームを作った人達の名前を載せないなんてフェアではないのではないか、と思いましたが一方で防犯やスタッフを守るためというのも一理あるなぁとも最近のネットを見てると思うのです。

私は主にツイッターや格ゲー関連のフォローをしているのですが、名前を出して仕事している人のところに良くも悪くも意見が集中するなと思ってて。

「XX(プロデューサー名)見てるか」とか「この調整をした人の住所が知りたい」「この仕様にしたスタッフ誰?」みたいな

私も正直むちゃくちゃ文句は言う方なので同じような文句言った事もあるかもしれない。いや確実にあるなw
矢面に立つPやDは少なからず批判的な意見を受けるのも仕事だと思ってるんですが、ただのスタッフに向かい出したら怖いなあ…と別分野ながら開発に携わった人間として思いました。

個人でアプリをリリースした事もありましたが、顧客に直接サポート等をするのは正直しんどいもので。
会社でプロジェクトの一員として参加していた時は不具合、要望などは専門の部署があり、まとめられたものをMTGで吸い上げて対応したり…でワンクッション置かれていたので開発に集中できたのでその点助かったです。

これが個人開発で、もしバグの報告なんかを直接電話で聞いて修正とかしていたら頭がおかしくなっていたと思います。

なので、まあ最近は自分の名前なんかどうでも良いやと思っているし(そもそもエラくもないし作家性のある仕事でもない)載らない気楽さもあるなと思っています。個性として名前がある作家ではなく、裏方とか職人として生きるものも幸せなもんだなと

それに名前があってもなくても、その人間がやった仕事というのは天地がひっくり返っても揺るがない事実(手柄を横取りする事象も聞いたりしますが別の話なので割愛)なので、対価としてお金をもらえていればもうそれで良いと思っています。

素晴らしい作品に出会った時は「これ作った人すご!」って素直に感嘆します。ゲームの細部に宿るデザインやシステムUIの細かい部分に対してとか、あとよく美術館にも行きますが作者不詳でもすごい作品っていっぱいあるんですよね。

これとか本物見た時とても感動したんですけど作者不詳です。曼荼羅とか壁画とか、宗教画に誰が描いたかわからないものが多いですが良い仕事をしたというのは十分に伝わるので。名前なんかでラベリングしなくても何百年も超えて他の人間の心に「伝わる」って凄い事だと思います。

仕事以外の趣味で絵を描くときも、私の名前じゃなくて伝えたいものがちゃんと表れてればそれで良いなと思っています。(そもそも描いてるモチーフが二次創作のファンアートというものがありますが)

イラストで生計を立てようとも思わないし、副業するにしても色ぬり等の職人的な作業をすると思います。きっと一生無名です。

個人として敬われる事もないけど、代わりに恨まれる事もない。
でも「これ、この部分作ったの私だよ」って言える人生も気楽でいい生き方だなと最近は思います。

とりとめのない話ですが、最近感じた事でした。

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