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俺のこれから

私の卒業した高校はサッカー部が学校全体の雰囲気を作っていたといっても過言ではない。部員数はダントツで多かったし、県内でもトップの強豪校である事から、スクールカーストでいえばトップに君臨していたと思う。

自分もそんなサッカー部に属していたのだが、先輩達や同級生を見て、自分を含めたこの集団の人間は、所属している組織や肩書きのお陰で実際の実力以上にモテていると感じる事が多々あった。

というのも、自分が1年生の頃はかっこよく見えた先輩達も、自分が実際に3年生になった頃には大学生になっており、もう自分達の直属の先輩ではなくなっていた。そのフィルターが外れた時、それでもカッコいい人は勿論カッコよかったが、中にはあんなにカッコよく見えたのに、酒やタバコで一気に老け込み、全然カッコよく見えないという人もいたからだ。

自分が所属している組織や集団、そしてその肩書きで本来の実力以上の人気を獲得し、それがあたかも自分本体の魅力であると錯覚して、そこにあぐらをかいていては、いずれ必ず没落する時が訪れる。そう感じずにはいられなかった。

だから私は在学時からその組織の魅力に頼らない生き方を実践してきた。勿論、属する集団組織から受けた恩恵ってのはあったと思うが、それが自分の実力ではないという事を認識し、自分本体の魅力の向上に邁進した。

その結果、いい大学を出たりいい企業に就職したりと肩書きを獲得する方向への努力を避け、自分本体の魅力を向上させる方向へと時間とエネルギーを割くこととなった。そしてそれはある程度形になったと思う。

しかし社会人になった今思う事がある。

それは社会人になると、そういった肩書きみたいなものが凄く大事だという事だ。

多くの人は自分の物差しをもっていない。自分の価値基準ってものを持ち合わせていない。だからこそ、分かりやすい指標ってのが大きな力を持つからだ。

逆に言えば、そこさえ抑えておけば変人だろうがなんだろうが許されるのだ。

俺は多分、今このまま進んだら、5年後通用しなくなる。

自分の魅力にもの言わせたコミュニケーション。無鉄砲さ。それが通用する年齢じゃなくなってくると思うからだ。

だから俺は一旦ここで、軌道修正をする。
5年後自分が好き勝手生きても許されるように、多くの人が持ち合わせる価値基準の中のものを取りに行く。

15歳から20歳まで積み上げた5年間が多分、今の自分の20〜25歳の5年間を作り上げた。

そう考えると今この瞬間からからの30歳までの5年間が、後の30〜35歳までの人生の彩りを決めるのではないだろうか。そんな気がしている。

頑張ろう。孤独だし、結果が出るまでは誰にも評価されない戦いだけど、自分の人生のために積み上げよう。俺はやる。同じ志を持つものは共に学びましょう。

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