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父記録 2023/4/22.23


4/22
正午起床。久しぶりにすっきりとした目覚め。夫は庭仕事に精を出していた。
つる薔薇が次々に咲き始めている。満開も近い。

15時、夫と面会に向かう。
今日は母はおやすみ。
1日2人までなのでシフトが少し難しい。
例えば夫の両親が来るとしたら、他に誰も付き添えない。せめて3人までOKなら良いのにと思うが、コロナ禍の制限を思えば毎日面会出来るだけでも御の字ではある。

今日も父は目を覚ましていた。
昨日より言葉は少ない。
「昨日いっぱい喋ったから疲れたかな?」
と訊くと「つかれた」と言った。
そうだよね、一昨日までICUにいたんだもん、疲れたよね。

父の足を揉む。
訊かなければいけないことがあった。
「お父さん、Mちゃん(友人の医師)が昨日きてくれてね、色々聞いたの。
お父さんが鼻から管で栄養入れるのがOKなら、胃ろうの方が楽かもしれないって。
先ずは鼻から管で栄養を入れなきゃならないんだけど、ずっとだとちょっと辛いかもしれない。やってみないと分からないけど。
胃ろうを作るのはいやかな?前に嫌だ、って言ってたから、嫌だったらやらないよ。
いやかな?」
父は一生懸命何かを答えているが、声が微かで聴き取れない。
「今でなくてもいいよ、考えてみてね」
と言うと、今度ははっきり「もう、かんがえた」と言った。しかしその答えはやっぱり聴き取れなかった。
また父の足を揉む。
夫はただ黙って空を見ていた。
父の顔の近くに顔を寄せて窓の方を見上げて
「ここは空が見えるからいいね」と言った。

しばらくしてから別の質問をしてみた。
「お父さん、やりたいこと、ある?食べたいものとか、行きたいところとか。会いたい人とか。」
父は「胃ろうがやりたい」と言った。
夫が「そっか。それじゃあお父さん、長生きしましょう。」と言った。

父はずっと「胃ろうはしたくない」と言っていた。私もそれは尊重しようと思っていた。
私が父に「胃ろうがやりたい」と言わせたのかもしれない。
何が何でも胃ろうにして欲しい訳ではない。けれど、父がまだ少しでも長く生きたいなら、胃ろうの選択はアリだ、と思う。
父の意思を尊重したい。
けれど父への説明にはどうしても私の主観が入る。本当のところは分からない。

だけど、それを考えても意味はない。
父は弱っているけれど、まだ生きたいのだと思う。そのように私には見える。

父の頭を揉む。
父が口を開いた。
「飛行機が」
「みんな飛行機に乗ってる」
「乗らなきゃ」

私が「飛行機にみんな乗ってるの?お父さんはまだ乗らなくていいんじゃないかなあ?」と言うと

「ふふ…そうか?」と綻ぶように笑った。
空は晴れていて、夫は窓際でスマホを見ていて、私は父の足を揉んでいて、テレビの音が小さく流れていた。
父は右手を宙にあげて動かし、下ろし、また上げては動かしている。
絵を描く仕草のように見える。
時々嬉しそうに微笑む。
どんな絵を描いているんだろう。

面会に来たらつい、何かしなくちゃと思ってしまうけど、何も話さなくても、しなくても、ただ同じ時間を過ごすだけでいいのかもしれないと思った。 

4/23
今日は母ひとりで面会に行ってもらった。
私は溜まった仕事を片付ける。
国立時代のお客様が家族で来店。
ご夫婦と娘さんが二人。高校生と、二十歳くらい。
国立に来ていた頃はまだいなかった娘さんたち。それぞれにネックレスを作り、お母様は指輪を。
父の作ったものがこうしてつながってゆく。
友人が帰り道に立ち寄って袋いっぱいのリンドールを置いて行った。
友人の娘さんに小さなネックレスをプレゼントした。
母から報告。
「お父さん疲れたみたい。寝たいって。何言ってるか、わからないから、ふざけて『来ないほうがいい?』って聞いたら、子どもみたいに首ふってううんって。お父さん、子どもみたいね。」
「会えるだけで嬉しいと思うよ」
明日は母に休んでもらい、私が面会に行く。
母は毎日会いに行きたいようだけれど、電車とバスを乗り継いで毎日通うのはやはり疲れてしまう。うまく休んでもらえたら。

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