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クレヨンと選挙ポスターと多様性 #シロクマ文芸部

今回はこちらの企画に参加させていただきます。


よろしくお願いします。




「変わる時が、来た」
 こんなキャッチコピーをつけた『西川たかし』のポスターが目に付いた。
 僕が住む街の市議会議員選挙の告知ポスター、西川たかしはカメラ目線で笑いながらガッツポーズをしている。ポスターの左側には「今こそ若い力で変革を!」とゴシック体での文字もある。

 西川たかしは僕の小学校の同級生だ。
 本当は西川隆と言うし、なぜ名前だけ平仮名にしたのかは分からない。きっと投票所で書きやすいとか、戦略や狙いがあるのだろう。とはいえ、僕の知るあの西川隆で間違いないようだ。顔は笑っているが、目だけが笑っていないところが変わらない。

 当時の彼の印象は、とにかく変わっている子だった。
 多様性という価値観は大人より子供の方が寛容な部分があると思う。大人の世界では、建前でその価値観を認めつつも実際は排除してしまえばいい、異質なものは最初からグループに入れなければいいという考えがあるように思える(その考えが問題視されているわけだが)
 子供の世界でも自分と合う子、合わない子というのは直感的に存在する。だが同じクラス、同じ学校というものが、自分と同じ世界の住人という共同体を感じさせ、狭い世界であるがゆえ違いはあってもみんな仲間だという考えが根底にあった。
 少なくとも、僕はそんな風に思っていた。

 西川たかしとは同じクラスだったが、あまり絡みは少なかった。それでも思い出せるエピソードはいくつかある。
 あれは図工の時間だったと思う。彼と同じ班だった僕は、みんなでクレヨンでお絵描きをしていた。
 そんな時彼が「赤いクレヨンある? 貸して?」と言ってきた。貸す事は構わなかったが一応僕は「失くしちゃったの? 使っちゃったの?」と訊ねた。すると彼は「食べちゃった」と答えた。
 僕は意味が分からなくて、しばらくフリーズして彼をまっすぐ見つめていた。彼は笑いながら「赤が一番うまいんだ」と言った。怖かった。あまりに怖くて僕は黙って自分の赤いクレヨンを差し出した。彼はクレヨンを受け取ると黙々とお絵描きを続けた。その間も僕は彼を凝視していた。僕のクレヨンも食べられるんじゃないかとドキドキしていた。
 幸い、彼は使ったクレヨンをそのまま返してくれたが、僕はこのことは誰にも言えないと思った。強制的に預けられた秘密というのは子供ながらに重荷だった。
 しばらくすると、あいつはクレヨンを食べる奴という情報はクラスの共通認識であることを知った。僕は心の重荷が下りたようでホッとしたが、そんな事実を受け入れてるみんなにまたびっくりした。

 またある時、こんなこともあった。
 クラスで飼っていたウサギが死んでしまったことを帰りの会で告げられた。生徒の心理的フォローもあってか、先生はその事実を細心の注意を払って説明していた。何人かの女子はすでに泣いていた。
 だが、ウサギは殺されたんじゃないかとすでにクラスでは噂になっていた後だった。誰かが「殺されたの?」と先生に聞いた。先生は殺されたんじゃなく、病気で亡くなったと否定した。僕は薄々、彼が殺したんじゃないかと思っていた。西川たかしは飼育係だった。
 重い空気が教室を支配していた。ついにある男子が「西川くんが怪しいと思います」と言ってしまった。クラスの視線が彼に集中した。慌てて先生はその生徒を注意した。証拠もないのにそんな事を言うものではない、あやまりなさいと命令した。すると西川たかしも泣いてしまった。先生は彼を慰めた。彼は泣きながら自分がいかに大事にウサギの世話をしてきたか、自分がどれだけ悲しいかをみんなの前で説明した。先生はウン、ウンと頷きながら、先生まで泣きそうになっていた。泣きそうになっている大人を見るのはつらかった。指摘した生徒は改めて彼に謝罪した。謝罪しながら彼も泣いていた。
 重い空気は更に重くなったまま帰りの会は終了した。

 確かに今考えても何の証拠もない。それでもあの時彼が怪しいと僕も思ってしまっていた。それがなぜだかは分からない。
 その後彼は私立の中学に進学した。誰もが知っている有名な進学校だ。それ以来、彼との接点はない。成人式でも彼の姿は見つからなかった。

「変わる時が、来た」
 と、今の彼はそう言っている。
 彼自身、あれから様々な変化があったのだろう。そこは想像するしかないが、想像のしようもない。おそらくもうクレヨンは食べていないだろうが。
 僕自身、あれから当然変化はあるが、何がどう変わったかを他人に説明するのは難しい。
 人が変わる時というのはどんな時なんだろう。

 彼に投票してあげようかと考える。いや、理念や政策も知らずただ知り合いというだけで投票するのも良くないかと考え直す。
 駅前で選挙演説でもしてたら声でもかけてみようか。なんて声をかけよう。「あの時ウサギを殺したか?」と訊ねてみるのを想像してみる。
 おそらく否定するか覚えていないと答えるだろう。それでもいい。もし、殺したと認めたなら、僕は迷わず彼に投票するだろう。



(了)



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