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趣味との向き合い方 (エッセイ)

自分が気分屋かどうか考えると、認めたくはないが気分屋の部分はある。
もちろん、気分次第で仕事に行かないなんてことは出来ないが、それ以外のものは割と気分で決めている気がする。

食べ物だって気分で決めていいし、自分の好きなもの(趣味)だって気の向いた時に楽しめばいい。何も問題はない。
自分の趣味で言えば、本を読みたいときに読書をするし、映画が観たければ映画を観る。音楽だって同様だ。このnoteだって、書きたいときに書きたい内容を書いている。
逆にそれらをしないのは、疲れているときや単純に気分が乗らないとき。うん、多くの人だってそうしてるだろうし、やはり問題はないと思う。

ただ、自分の中で少し気になったことがあるので今回はその点をちょっと深掘りしてみたい。

逆説的に考えてみる。
気分で左右されないもの。前述した仕事がそうだろう。
やりたいときだけやるものではない。気分が乗らなくても、少し体調がよくなくてもやるのが仕事だ。億劫にもなる、次の日のことを考えて憂鬱になるなんて誰もが経験あるはずだ。
でも、それで得られるものはなんだろう。
否応なくスキルアップはするはずだ。
同じような作業だとしても、繰り返すうちに創意工夫を考える。スピードは上がっているはずだ。それは自分が楽をするためでもあるから。
おそらく私が趣味でも得たいのは、このような感覚だと思った。

例えば筋トレ。私の苦手な分野だ。
いつも思い立った時に少しだけやるが続かない。
それこそ気分が乗らないときでも続けないと効果がないというやつだ。
まさに身に付くという感覚である。
これが他の趣味でも欲しいと思った。

私の好きな読書で考える。
今は読みたいときに、それこそ気分で読みたい本を読んでいる。
これを毎日15分は必ず読書するとしたらどうだろう。
疲れているときは辛そうだ。経験上疲れているときの活字は重たい。
なにより頭に入ってこない。でも、それでも続けることによって何か身に付くものがある気がする。

執筆だってそうだろう。
今は好きなときに好きなことだけ書いている。
こちらは毎日とは言わないが、書きたいものも言いたいことも無いとき、そこから絞りだしてみる。読むに堪えないものができるかもしれない。それでも自分の中にブレイクスルーを見つけられるかもしれない。

たかが趣味ではあるが、そんなことを少し意識してみようと思った。
さて、続くだろうか。
こんな大層なことを言っておいて続かない、結局は自分が気分屋だったことの証明にならなければいいのだが。


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