記事に「#ネタバレ」タグがついています
記事の中で映画、ゲーム、漫画などのネタバレが含まれているかもしれません。気になるかたは注意してお読みください。
見出し画像

春日部と"アイツ"は結局違うよなという話【ナナシス映画ネタバレ感想】

以下、ナナシス映画感想ネタバレ。走り書きなので乱筆乱文失礼(ちなみに色紙はトップ画の通りコニーさんでした)。

1.まず総評から

キレイな話だった。
序盤でアイ○スかよとなる自己紹介ビデオの流れや、唐突にクソ長用語を唱えだすムスビの姿など、ナナシス未履修の人向けに配慮していた部分もあったのだろうが、それにしても短時間に情報量を詰め込み過ぎで優しくなさげだったし、後述する滑川の独白以降のくだりも不親切な作りでわかりにくいという短所もあった(まあ情報の圧縮がつよすぎた)。
がしかし、ファン向けとして見れば、初心者向け要素が少々まどろっこしいことを除くと、77分でコンパクトにまとめたキレイな話と言える。
そのファン層へのフックになり、ヒール役を請け負い、物語を回し続けたのが滑川である。

2.滑川というキャラクター

個人的にこの映画で一番好きなキャラを挙げるなら、滑川ただ一人であろう。自分が同じく森川さん演じるニンジャスレイヤーのファンということもあるだろうが、ニンジャスレイヤーのバトウ=ジツが後のイクサへの期待を高めるように、滑川の罵倒が後のライブへの期待値を積み上げていくという、森川さんの演技に高揚感や安心感を覚えた部分はある。
そんな森川さんじゃなかった滑川がヒール役を背負う理由は、ストーリーの中盤から後半で明らかになった。

「アイドルなんて大ッ嫌い!」
……ナナシスのゲームに触れなくとも、広告を見たことのある人なら見覚えのある言葉だろう。
春日部ハルのこの言葉を、滑川がそっくりそのまま言ったとき、劇場にいた支配人の恐らく全員が動揺、あるいは驚愕したであろう。物語でこの言葉を持ち出し、ハルがスカウトされた頃を振り返ることにより、初見が理解することのハードルを高くしている面はあるのだが(わかりやすくモノローグという形で出してないのがまた理解度を下げている)、これまでナナシスに浸かってきた支配人たちにとって、物語にぐいと引き込む効果があったのは確かだった。

3.アイドルという呪い

滑川と過去の春日部ハルが同じ言葉を口にしたということは、この二者は同じ方向性の問題を抱えていたと言い換えられる(たぶんね)。
ではどのような問題かといえば、アイドルに対する負の感情、すなわち呪いである。
春日部ハルは、かつて自分が一度デビューに失敗したことで弟もいじめられるようになり、ステージを降りた。
滑川は、かつてアイドルオタクであった頃、推していたユニットの突然の解散で失意のどん底へ落とされ、そのまま家業を継いだ(たぶんですよ?)。

そんな、かつてアイドルへネガティブな感情を抱いていた二人が出会ったのが今回の物語だ。そして終盤、滑川はハル達のライブを見て目を潤ませるのだが、このシーンについては、個人的には「物語だから許された救済」だと受け取った。
というのも、ハルと滑川は確かにアイドルへ同じ温度の感情を抱いていたが、その経緯は全く異なる、つまりハルの呪いの解き方が滑川には通用しないだろう、と感じたからだ。

ハルはアイドルをしていた側の呪い。滑川はアイドルを追いかけていた側の呪い。これは実のところ全然違う。ハルは自分の失敗が原因で、極端なことを言えば自分で始末をつけられた。しかし滑川は結局、受け取る側であった以上は自分で始末をつけられないのだ。

「そのためのライブシーンでの浄化だろ?」という意見はごもっともだが、そこにも引っかかりを感じたのは、見る時期が悪かったとしか言いようがないし、その違和感については次の項で詳しく述べる。

4.エヴァとぶつかった物語

さて、今この時期にTLで流れているものとして、「シン・エヴァンゲリオン」を見に行くエヴァオタクの話題が挙げられるだろう。作品自体については置いておくとして、このオタク達は20年以上待ち続けていた、という風潮は抑えておくべきかもしれない。
旧劇場版が放映され、ポストエヴァとされる作品群が雨後の筍じみて生えてきた後も、彼らはエヴァを待った、というのは作中の「エヴァの呪縛」という単語からも伺える(というかシン・エヴァという話自体、その呪縛を断ち切る話だった)。
彼らは何故、エヴァ以外へ行かなかったのか。それは間違いなく、エヴァの話はエヴァでケリをつけてほしかったからだ。でなければ、ああも待ちはしないというのは理解していただけるだろう。

滑川に話を戻そう。彼は推しでアイドルを知った(んじゃないかなぁ……)。そして推しで絶望も知った。ならば、ケリをつけられるのはその推ししかいないハズだ
だが、その推しは既にこの世におらず、滑川は正しく救われることは出来ない。もしこれが現実だったなら、滑川はエンドロール後もハコスタ潰しに精を出していただろう。
しかしこれはフィクションで、だから推しでもない777のライブに救われもした。これをご都合主義と見るか、必然と見るかは自由だ。
ただ、個人的には、庵野秀明の描くエヴァでなければ救われなかった人々で溢れている今という空気は、食い合わせが悪かった、と思っている。

5.最後に

ここまで厳しめに書いてきたが、映画館に向かうまでの緊張感はライブ前とほとんど同じだったし、映画館を出てからの感想は「まあナナシスってこうだよな」というある種の納得だったので、さほど悪い感触を抱いていたわけではないと補足させてもらう。

まあ、滑川の元ドルオタというキャラなどを鑑みても、茂木監督の卒業作品かつ「影響された君達の作るものを楽しみにしている」という気持ちの込められた物語だったのかもしれない(こういう作者の気持ち云々を考えるのは好きじゃないんだけどね)。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?