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デイジーと時給 in London


2024年。この国はまだ、お願い搾取をしている。

先日のこと。とあるコーヒーチェーンで本を読んでいたら、後ろの2人の会話が聞こえてきた。どうやら、そのコーヒーチェーンのバイトの面接をしているようだった。
店長らしき女性と、10代から20代前半、学生さんと思しき女性。
普通の声量で話していたので、イヤでも聞こえてくる(別に嫌じゃないけど)。

一通りバイト内容の説明を終えたところで、店長の女性が切り出した。
「えーと、これは、命令ではなくお願いです」
なんかよくない匂いがする。
「うちの時給は10分ごとに計算されるんです。だから、例えばあなたが9時から5時までのシフトだとして、5時10分にタイムカードを押すと分割り計算で10分ぶん追加されます。5時9分にタイムカードを押しても、5時ちょうどに押したのと変わりません。」
「だから、仕事を覚える意味でも、8時51分と5時9分にタイムカードを押すような働き方をしてほしいな、というお願いをしています。だって、9時から仕事が始まるのに、9時に来ても、慌ててしまって仕事にならないじゃない?前後9分ずつ余分に働くことで、あなたも仕事を覚えることができるよね。でも、命令はできないの。問題になっちゃうから。だからこれはあくまでもお願いです」
ちなみにこれ。2024年のできごと。
まだこんなことやってんのか、この国の飲食店は。
「9時から時給が発生するのだから、9時から仕事始める」でいいじゃないか。「よくないこと」だと自覚してやってるのか。本社からの命令で、仕方なくやっているのかもしれないけど。
お店が9時からオープンするから、というのなら、8時半から勤務にして、当たり前だが普通に30分の時給を発生させればいい。
1日たった18分。時給が¥1100/1時間として。
まだ若い学生さん(想像)から、1日あたり18分の賃金(¥330)を奪って、いったい何がしたいのだろう。
「ちりも積もれば山となる」
そんなもので積もった山で、いったい何がしたいんだろう。
企業努力でもなんでもない、ただの搾取なんかで。

「命令」ならダメで「お願い」ならいいのか。
やってる(やらせてる)中身は同じなのに。
「お願い」だったんだから、相手にも断る余地を与えたんだから、相手が望んでやってくれたんだよ、ってことにしたいんだよな。
体裁さえ整えりゃいいんか。

「うちの会社をそんなひどい会社だと思わないで」

2009年~2011年。私はロンドンの日本食レストランで、パートタイムで働いていた。
ある日のこと。その日私は昼からの勤務で、前日に新人さんが入ったばかりだった。ちょっと早めに行っておかないと、午前中に終わらせておくべきことが何も終わってないかもしれないな、それだと私が大変だな。
そう思い、15分前には仕事に入った。
そこに、社員のリーダー、デイジーが入ってきた。彼女は私を見咎め「なんでいるの!」と私を仕事から引き離した。
彼女が人件費含む経費を綿密に計算していることをよく知っていた私は「大丈夫、タイムカードは押してないよ。新人さんが心配だったから早めに来ただけだよ」と伝えた。
その時の私に悪気はなかった。日本でも同じことをしていたし(そこには暗黙の圧があったからだけど)。
だからデイジーも「あ、そうなんだ。ありがとね」で済むかな、と思っていた。
しかし、彼女はものすごく、ものすごく慌てた顔で言った。
「何言ってるの!余計に悪い!何時から働いているの!ちゃんとタイムカード押して!今すぐ押して!押してない分は、仕事終わった後に私が余分に押しておくから!」
私はその時、ポカンとしていたと思う。彼女はなおも慌てて付け足した。
「働いたのにタイムカード押さないなんて、なんてことを!」
どうやら、働いた分のお金を私が自ら帳消しにしたことを、本気で「よくないこと」と思っているようだった。
「こんなこと二度としないで。私はね、綿密に計算して人件費を割り出してる。予定外の出費は確かに困る。でも、あなたが働いた分はちゃんと付けて」
「確かにね、新人さんが来るときは、思うように進まないかもしれない。でも、それは私たち社員が負うべきことで、あなたが無償で働くことで負うことじゃない。これからは、時間ピッタリになってから仕事に入って。5分前もダメ。時間ピッタリになるまで働かないで。携帯見たり、コーヒー飲んだりしてて」
私は日本で、そんなことで怒られたことはなかった。
むしろそういうのは「ありがとうね」で済まされていた。とりあえずゆっとけの「ありがとう」だったこと、知ってたけど。

彼女は最後に悲痛な面持ちで言った。
「働いたのにお金を貰わないなんて…うちの会社を、そんなひどい会社だと思わないで」

ごめん。思ってた。

だって、私がバイトした日本の飲食店って大体「ひどい会社」だったから。
無償で働かせて、それを「ありがとう」で済ませて、「他人に感謝できる俺って謙虚」な感じで、自らの魂レベルは上がったと思っているような人たちだったから。
私は圧に逆らえなかった。心の中でだけ「けっ」と思っていた。会社のバイトに対する扱いってそんなもん、くらいに思っていた。

本当に、ごめん。

使い損ねた有給は、きっちりお金に換算された

デイジーは、ずっとそうだった。
ある日、仕事が全部終わってタイムカードも押し終わってバイト仲間みんな「さあ、帰るか!」状態で雑談していた。
すると、納品のトラックが来た。デイジーは言う。
「みんなごめん!今トラックが着いちゃったんだけど、手伝える人いる?予定がある人は帰って!手伝える人はタイムカード押して、荷物運んでくれる?」
「OK!」
5人の男性陣が一斉にタイムカードを押し、トラックから荷物を出し、冷凍庫に入れた。10分ほどで作業は終わり、みんな再度タイムカードを押した。
彼女はたとえ5分で終わる作業だったとしても、無償で手伝わせようとはしなかった。快く、笑顔で、必ずタイムカードを押させた。
今まで私がバイトとして働いた会社の社員さんの中で、彼女が一番、バイトを軽視してなかったと思う。

私のビザは1月末までで、旧正月で、韓国人も中国人も中国系マレーシア人も一斉に帰国する時期だった。
本当は早めに仕事を辞めて、残りのビザの期間で旅行でも行こうかな、と思っていたのだが、人が一斉に帰国してしまい、ギリギリまで働くことになった。
デイジーは本当に申し訳なさそうだった。
「本当にごめん!ギリギリまで働ける?」
まいっか。私は引き受けた。
そして帰国間際。
「ここに日本の銀行の振込先書いて。ギリギリまで働いてもらったから、あなたがイギリスにいる間のイギリスの銀行への振込は間に合わないと思う。計算して、最後の給料とホリデイ取れなかった分、お金に換算して振り込むから」
イギリスでは、バイトであっても有給取得(ホリデイと呼ぶ)が厳密に義務付けられている(日本もそうらしいけど、私、日本のバイトでホリデイとったことないよ)。私も本当は、ホリデイをとって旅行に行こうと思っていたが、旧正月の関係で行けなかったのだ。
でも、それで終わりだと思っていた。
「え、いいよ、別に」
私はまだそんなことを言っていた。いい加減にしろよ、自分、本当に。
案の定デイジーは鼻息荒めに言った。
「何言ってるの!当然の権利!これはあなたが絶対に受け取るべきお金!ホリデイを取らせてあげられなかったこと、本当に申し訳なく思っている。私の計算ミスだった。本当にごめんね。ホリデイをあげられなかったんだから、それをお金に換算して渡すのが当たり前。会社の義務。それを受け取るのはあなたの当然の権利!」

帰国後、私の銀行口座には、割と多めのお金が入っていた。
明細も届いた。振り込んだお金から、振込手数料を差っ引くなんてケチなこともしてなかった。

デイジーにとっては当たり前のことだったから。
彼女は、まさか私が、15年近くたった今も、彼女とのあのやりとりに感銘を受け、影響されて生きているなんて、思っちゃいないだろう。

あの時から私は、自分の労働にはお金を貰うべき価値がある、って思えるようになったんだよ。
ほんとだよ。
子どもたちにもちゃんと伝えるね。

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