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1円でも1時間

若きサラリーマン時代にちょくちょく先輩に飲みに連れて行ってもらった。
先輩と二人きりの場合は大体居酒屋一軒で終わりだ。

金曜日などの場合に上司が居たりすると二軒目は必ずスナックになる。
これは結構苦痛だった。
無礼講だがカラオケをやって盛り上がるだけ。
車通勤の方もいる為職場のグループチーム全員で飲みに行く機会は
少なかった。

そのせいかみんなが集まると皆テンションが高くなる。
カラオケ課長や盛り上げ部長は決まっていてハイペースで
お酒を勧められる。

今では明らかにパワハラと言えるような事が昭和の時代には
当たり前の様に起きていた。
飲みに行くか行かないかの打診など無い。
暗黙の了解でメンバーに入っているのだ。


社会人になるという事はアフターワークも含めてなんだな。

今のようにバーなど繁華街以外に無かった時代、2次会はスナックが定番。
ただ酔うために酒を飲んだ。
ウィスキーはサントリーオールド。

前置きが長くなった。

ある日先輩と二人で飲みに行った時の事。

お会計時に
「お釣りはいらないよ」

と、トレーの釣銭を先輩は受け取らなかった。
数百円程度の釣銭。
その理由を理解する前に
その行動が
ただ
「かっこいい」
と思った。

結局
その理由を聞くことはなかった、
しかしいつしか自分もやってみたいと、
そういう思いが湧いてきた。

ただ
かっこいいというだけの表面的な理由。
何故受け取らなかったのか、聞くことに興味はなかった。
受け取らなかった理由にも興味は向かなかった。

「かっこいい」

という印象だけが脳裏に残った。

一人飲みのある日、実行に移す時が来た。

レジから釣銭の小銭をトレーに乗せて目の前に差し出された。

「お釣りはいいです」

レジを開けた店のスタッフは一瞬固まったように見えた。

と同時に

『この若者何を言ってるんだ』

と心の呟きが聞こえた様な気がした。

「カッコつけてんじゃねぇよ!」

今度は横から呟きではない生の声が聞こえた。

レジ横のカウンターには一人飲みのおじさんが座っていた。
小声で穏やかに僕に言い放った。
今度は僕が固まってしまった。

図星だった。

「お金の価値が分かっててやってんのか?」

頭の中が真っ白になった。
急に恥ずかしさも湧いてきた。

レジに向かう前までは、一連の動作は先輩がやったように
スムースに流れて何事もなかったかのように、いつもの会計時と
同様に退店出来るかと思っていた。

ただ
カッコつけたかっただけだ。
かっこつけた自分に酔いたかっただけだ。

この陳腐な行動をおじさんは見抜いていた。

『お金を稼ぐ苦労も知らない若造が、あたかも稼いでいるような
生意気な態度だ。』

『20台前半の小僧が1円を稼ぐにも一時間かかる、そういう苦労を理解しているのか?』
『会社で戦力として稼いでいる訳ではなく、仕事を教わっているだろう立場で会社におんぶして貰ってる小僧が1円を稼ぐその1時間の苦労が分かっててやってるのか?』

というようなことを優しい説教のように静かな口調で僕に向かって言った。

お釣りを受け取らない、という事にどんな意味が有るのか
その時は考えてもいなかった。
その時というより最初からだ。

恥ずかしさはいつしか自責の念に変わっていた。
直ぐにでもその場を立ち去りたかった。

おじさんは静かに酒を飲んでいる。

ここから先ははっきりした記憶がない。

「すみません」

ばつが悪そうにレジスタッフに伝えてトレーに置かれた小銭を
掴んで無言で店を出たような気がする。

全く予期しない展開だった。
自分の未熟さに情けなさを感じた。

1円を稼ぐにも1時間かかる。
良い言葉だ。

1円を笑う者は1円に泣く。
ということわざがある。
おじさんは僕にこの意味を教えてくれたのだ。

人は失敗して成長する。

それ以来
1円の大切さを意識するようになった。
1円足りなくても物は買えない。
1円でもお釣りはしっかり受け取ることにしている。



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