記事を書く前に検索をすると文章のオリジナリティがなくなる
以前、あるブラジルのミュージシャンを検索したら、書いてある記事の内容が、どれもが僕がすごく昔に書いた内容のことを元にして書かれていることに気がつきました。
もちろん、全部、文章の表現は全く違うし、僕の文章を読んで書いたのではなく、誰か別の音楽ライターが僕の文章を読んで書いたのを見て書くという「孫」や「曾孫」なのかも知れないのですが、とりあえず僕だけには「あ、この文章って僕が書いたことがオリジナルになってるな」って気がつく内容だったんですね。
で、僕としては正直、すごく嬉しかったんです。
たぶん昔はそのミュージシャンを検索したら、僕の書いた記事しかなかったんだろうなあ、このミュージシャンに関しての日本での評価は僕の意見が元になってるんだぞ、って気持ちです(すいません。小さい人間で)。
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ところでみなさん、何かの作品を聞いたり読んだり、あるいはどこかのお店に行ってその感想をブログで書こうと思ったりして文章を書こうとすると、まず検索していませんか。
目の前にCDなり本なりがあるのに、お店は実際に自分で経験したはずなのに、いざ文章を書こうと思ったら、今はなぜか「とりあえず」検索してしまうんですよね。
数年前にあるアーティストのCDについて文章を書く仕事がありました。
で、もちろんそのCDを聞いて「このピアノについて書けるな」とか色々と自分の中で感想は持ったのですが、ついつい「とりあえず」検索してみたんですね。
そしたら、ある音楽ライターの方がそのCDについて書いた文章をみつけてしまったのですが、読んでみたらすごく面白い視点でその音楽を分析していたんです。
で、その文章を読んでしまってから、いざ自分でそのCDについて文章を書こうとしたら、どうしても「さっき読んだある方の文章の内容」を意識してしまうんです。
「じゃあ僕はあえて別の視点で」とか「さっきの視点はやっぱりすごく面白かったから〇〇さんも指摘するようにって書いて引用してしまおうかなあ」とか、もうどうしても影響を受けてしまうんです。
それからは、PCで検索してから文章を書くのはやめにしました。
今はPOMERAという、ネットに繋がっていない「小型ワープロ」で文章を書いています。
だからあるCDのことを書こうと思ったら、そのCDを聞いて、そのCDのジャケットにある情報だけでまず文章を書いてみます。そして、「このベーシストって確かあのバンドでいた人だよな」とかって感じで気になる箇所にはチェックを入れておいて、そして文章を書き終わった後で改めて検索して、「元〇〇バンドに在籍していた」って書き足すことにしています。
この作業、かなり面倒くさいのですが、「出来る限り自分のオリジナルな感想や発想を文章に入れる」という当たり前なのですが、今はそんな当たり前が難しくなった時代なので、自分に言い聞かせてやっています。
たぶん今って、「ドラえもん」くらいの、別に自分の記憶だけで「未来から来た猫型ロボット、ネズミが嫌い」って書けるようなものでも検索してウイキペディアの文章をちょこちょこっと変えて記事にしていると思います。
それってかなり危ないんじゃないかなといつも思います。
もっと世界に多様性と自分だけの発想をと感じています。
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のび太「ドラえもん、ドラえもんって猫型ロボットだったの? でも猫なのに耳がないんだね」
ドラえもん「のび太くん、『ドラえもん 耳』で検索してみて」
飲食店って本当に面白いなあって感じの本を出しました。『バーのマスターは「おかわり」をすすめない 飲食店経営がいつだってこんなに楽しい理由』 https://goo.gl/oACxGp
僕が選曲したCDです。Happiness Played In The Bar -バーで聴く幸せ- compiled by bar bossa → https://goo.gl/tOKcGu
iTunesでも配信しています。→ https://goo.gl/9QJywf
bar bossaに行ってみたいと思ってくれている方に「bar bossaってこんなお店です」という文章を書きました。→ https://note.mu/bar_bossa/n/n1fd988c2dfeb
この記事は投げ銭制です。この後、オマケで僕のちょっとした個人的なことをすごく短く書いています(大したこと書いてません)。今日は「うちの犬が犬ドッグに行きました」です。
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