いつか、ただの身辺雑記を書きたい話
※土曜日は読む人が激減することが判明したので、個人的な話を。
たまにこの「土曜日の個人的な話が一番好きです」と言ってくれる方がいます。
そんな僕の日常とか親類とか習慣とかをダラダラと書いているだけなのに、「面白い」なんてありがたいなあといつも感じます。
妻に「会ったこともない渋谷のバーテンダーの個人的な話をどうして楽しんでくれるんだろう?」って聞いてみると、「今って、この政治が良くないとか、人類の未来とか、そういうことよりも、誰かのプライベートの息づかいが聞こえるような人柄が出ているような生活や感じ方にみんな興味があるんじゃないかな」と言いました。
なるほど、なんかわかるような気がします。
僕らはTLを眺めるとき、どこか遠い国の戦争のことより、誰かが誰とどんな食事をしたかの方が気になりますよね。
「ああ。この人はこういう服装で、こういう人たちと一緒に、こういう食事をしているんだ」っていうプライベートなことってやっぱり興味があります。
僕らは誰かの生活の細かなところを見て、「こんな生活をしたいなあ」とか「あの人、こんな時間にご飯食べてるんだ」とか色々と考えたり感じたりします。
やっぱり色んな誰かの日常や好みを見ることって「鏡」なのでしょう。
それがはねかえってきて、自分の身近なことを色々と考えるんだと思います。
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すごく有名な作家が「本当になんでもない身辺雑記のような文章」を書くことがありますよね。
「どこどこの蕎麦屋に行ったら、主人がいなくなっていたけど相変わらず美味しかった」とか「ずっと探していた本がみつかった」とか「散歩でいつも見かける猫が子供を生んでいた」とかそういうことを、全くオチなしで、「なるほど」なんて「気づき」もなしで、淡々と書いています。
僕はああいう文章を読むたびに「良いなあ。こんな内容でたぶん原稿料5万円くらい貰っているんだろうなあ。羨ましいなあ」って感じます。
もちろんその作家が有名だから成り立つのだと思いますし、椎名誠や村上春樹や内田百間のように「その人の独特の文体がただただ好きだから読む」という場合もあると思います。
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この土曜日の個人的な話は、さすがにそんな「身辺雑記」ではなく、ちょっとだけ「なるほど」を入れるようにしています。
でもいつか本当にオチも何にもない「身辺雑記」を僕が書いて、みんなが最後まで読んでくれるようになったら良いなあと感じる、46歳の冬です。
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