ポムポムプリンが可愛いと感じること
※土曜日は読む人が激減することが判明したので個人的な話を。
井の頭線の改札を出たところがポムポムプリン祭りになっていたので、一緒に写ってきました。
妻がこのポムポムプリンのことを「ぼんやりしててよくわからない」って言うんです。「キティちゃんは可愛いと思うけど」なのだそうです。
ちなみに僕はポムポムプリンが登場したとき、「うわ、可愛い」って思ったんですね。さらに僕はキティちゃんの可愛さがよくわからないんです。
おそらく「キティちゃん」ってとんでもない発明で、すごくお洒落な最先端な人にも「響く何か」が潜んでいると思うんです。
だからこそ、全世界でもどの時代にも受け入れられてるんだと思います。
でも、ポムポムプリンってたぶん「凡庸」ですよね。退屈だし、心に響かないです。
もう本当に勝手な想像ですが、サンリオが色々とリサーチして「子供が好きなもの→黄色、フワフワ、架空の動物、プリン」って感じのマーケティングの元に企画会議で作られた感がすごくあります。
もちろんキティちゃんも企画会議で色々と検討はされたはずですが、「誰かある一人の天才が思いついた感」がありますよね。
※
で、本当にどういうわけだか僕はポムポムプリンの方が可愛いって感じてしまうんです。
おそらく僕の感覚ってすごく「普通」で「大衆的」で「マーケティングして受けそうなモノ」に反応してしまうんです。
これがかなりツラいんです。
僕としては死ぬまでの間に『銀河鉄道の夜』みたいなワン・アンド・オンリーな奇跡的な作品をサラっと書いて、生きている間はそんなに評価されないけど、後にすごい伝説の作品になる、みたいなのを夢想しているんです。
でも、どうやらそういう才能はないんです。というのは僕の感覚がすごく「普通」だからなんです。
大体「銀河鉄道みたいな作品を」って感じの「ああいう存在になりたい」ってフォロワー的な発想自体が「平凡」だと思います。
宮沢賢治は「こういう作品を残して、死んだ後に評価される存在に」なんて考えはなかったと思うんです。
自分の心の中に浮かんでくる夜の列車のイメージをただひたすら書き留めただけだと思います。
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最近、本当に「才能」というのをよく考えていて、「あるラインをこえる才能」ってやっぱり「狂気に近づく」んですよね。
たぶん自分にはそういう「狂気」がこれっぽっちもないんだろうなあと、ポムポムプリンを見ながら感じている46歳の春です。
僕のcakesの連載をまとめた恋愛本でてます。「ワイングラスのむこう側」http://goo.gl/P2k1VA
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