やらなかった仕事

※土曜日は読む人が激減することが判明したので個人的な話を。

僕は10代の終わりから20代の始めまでとにかく色んな仕事をしました。お金がほしかったのもあるのですが、「自分の知らない面白い世界を見てみよう」という気持ちが強かったように思います。

で、今回は「面接を受けたのだけど受からなかった仕事」、あるいは「面接は受かったのだけどやらなかった仕事」です。

19歳の頃、大学も行かず友達もいない、自分の人生で一番暗い時期があったのですが、その時期に「ヴァレンタインのチョコを売る短期のバイト」というのに応募したことがありました。

たぶん、明るい女の子たちと「キャッキャッ」って働いて、うまくいけば彼女たちと仲良くなって楽しいことにならないかなって考えたんだと思います。

五反田の駅前のビルの一室で面接を受けたのですが、見事に不採用でした。バイトの面接に落ちたのは初めてだったので、かなり落ち込みました。

同じ時期、もう何もかも環境を変えてみようかなと思い、「なんか芸能界みたいな東京っぽい世界で働いてみよう」と考えて、情報誌を眺めてて、「モデル事務所の営業」という仕事を見つけ、応募しました。

当時は青山で面接を受けたつもりだったのですが、今、思い出してみると、たぶん西麻布だったと思います。ちょっと寂しい雑居ビルの中で面接を受けました。

この時は面接の時点で自分のカラーと働いている人たちのカラーがあまりにも違いすぎるということにはっきりと気がついて、面接に受からなかったとき、ちょっとホッとしたのを覚えています。

 ※

その後、色々とあって20歳になってロンドンに行って結構人種差別でまいってしまって、2ヶ月で帰ってきたのですが、その頃に知り合った人に「NYならそんなにひどい人種差別はないよ。世界中から色んな人たちが来てるから大丈夫」みたいなことを教えてもらって、「じゃあ腰をすえてNYに行こうかな」と思って、お金を貯めることにしました。

その当時、僕の高校の時の友人の大口が、パイロットになるために防衛大学に入って、どうも校風があわずに退学して、親からは見放されて、でもパイロットになりたくて、その後、航空大学に入るためにお金を貯めた、という話を聞きました(彼はその後ちゃんとANAに入って今は国際パイロットになっています)。

その大口が言うに、静岡の浜松の自動車工場の寮に住み込んで1年(もう少し短かったかも)働いたら、600万円貰えるという内容で、「もうこれしかない!」と思って、情報誌を見て、電話をしました。

すると、電話の向こうで「じゃあ、○月○日の午前○時に高田馬場の駅の改札で待ち合わせ」と指定されました。

「え? 面接ないんだ」とかなんとか不思議に思ったのですが、「そういうものなのかな。電話で信頼してくれたのかな」と思って、部屋の荷物を捨てたり実家に送ったりして、部屋を引き払って、着替えだけ持って、当日高田馬場に行きました。

そしたらいくら待っても約束の人が現れません。1時間くらい待ったのですが、現れないので、その情報誌の電話番号に電話をかけたら呼び出し音は鳴っているのですが、いつまでたっても誰も出ず、「どういうことなんだろう」と思いながら、その日は練馬の兄の家に泊まらせてもらいました。

あの時、自動車工場で働いてお金を貯めて、NYに行ってたら、かなり違う人生だったと思います。

ちなみにその後、色々考えて、WAVEで働き始めました。

 ※

その後、レコファンに入って、妻とつきあい始めて、「お店をやろう」ということになり、僕が2年くらいかけて「開店資金」を貯めようということになりました。目標は1千万くらいを考えていたんだと思います。

で、情報誌を色々と見て、自分にもやれそうなガテン系を探して、「植木屋さんの仕事」というのを見つけました。

かなりお金は良くて、僕はその植木屋さんの仕事が休みの時に「バー」や「カフェ」で少しだけ働いて飲食の仕事も覚えようと考えたんですね。

で、荻窪駅から歩いて2、30分くらいのところの、すごく大きな植木屋さんで、面接を受けました。

大将がすごく感じの良いさっぱりした方で(今でもその面接を受けた畳敷きの大きい部屋の雰囲気は覚えています)、「じゃあ来週の月曜日から来い」ということになり、「わかりました」ということになったのですが、その週末、妻(当時32歳、僕は24歳)と確かゆっくりと話し合ったのかな、「飲食店でみっちりと学んだ方が良い。お金はなんとかなるかも」みたいな話になって、断りの電話を入れてしまいました。

 ※

その後、「美味しいカレーとバーの仕事を覚えよう」ということになりました。

で、美味しいカレーと言えば下北沢の「茄子おやじ」です。そこはBGMも良かったし、カレー屋さんなのに写真集や映画のポスターがある雰囲気も好きだったので、そこで週に3、4日くらい働いて、カレーを覚えようと決めました。

そして茄子おやじさんで面接を受けて、「来週から来て下さい」と言われました。

そして、「カレーとコーヒーだけでは妻と娘は養えない」と思っていたので、「ちゃんとしたお酒も提供できるようにしよう」と思って、下北沢のフェアグランドというバーで週に3、4日くらい働こうと思って、応募しました(その当時はカレーが美味しくて、でも夜はちゃんとしたお酒も出して、音楽がメインのお店をやろうと思っていました)。

そして、フェアグランドの面接を受けたのですが、「いずれ独立したい」と言う話をして、「茄子おやじの面接も受かった」という話をボスの中村さんにしたんですね。

そしたら中村さんが「掛け持ちじゃなくて、うち一本でみっちりやるんだったら雇ってやる」と言ったので、茄子おやじさんに電話をかけて、その旨を詳しく伝えて断りました。

あのとき中村さんの提案を断って、茄子おやじさんがメインだったらどうなっていたんだろう、っていつもいつも思います。

#コラム

飲食店って本当に面白いなあって感じの本を出しました。『バーのマスターは「おかわり」をすすめない 飲食店経営がいつだってこんなに楽しい理由』 https://goo.gl/oACxGp

僕が選曲したCDです。Happiness Played In The Bar -バーで聴く幸せ- compiled by bar bossa → https://goo.gl/tOKcGu

iTunesでも配信しています。→ https://goo.gl/9QJywf

シーモアグラスさんがこんなツイートをしてくれました。ありがとうございます!

bar bossaに行ってみたいと思ってくれている方に「bar bossaってこんなお店です」という文章を書きました。→ https://note.mu/bar_bossa/n/n1fd988c2dfeb

この記事は投げ銭制です。この後、オマケで僕のちょっとした個人的なことをすごく短く書いています(大したこと書いてません)。今日は「なっちゃんが」です。

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