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小説を書くことが仕事になった幸せ、と10月27日の日記

※日曜日は読む人が激減するので個人的な話を。

文章を書くとき、文章の内容によって頭の使い方が違うんですね。

例えば日記だと、時系列的に、「何時に起きたんだっけ?」って感じで、覚えていることをそのまま書き留めているだけなんですね。

「○○のイベントに行ってきたんだけど、こんな感じでした」とか、「このレストランに行ってきました」みたいなレポートものも「来ている人たちはこんな感じで」「出てきたお料理はこんな感じで」って、別に頭をひねらずに、記憶の引き出しを開けて、その記憶をそのまま描写しているだけだと思います。

もちろん、この手の文章は、その書き手が「何を見ているか」「どこを切り取るか」とか「どの記憶を面白可笑しく書くか」といったセンスが問われます。

あるいは、僕がよく書いているような「恋愛コラム」だと、「私、おばさんだからって言うのはやめてほしい」という「軸」をまず決めます。

その軸をそのまま「やめてほしいんですよね」って頭から書いても、あまり面白くないんですね。

で、「近所にオーディション会場が出来たんです」って話を冒頭に持ってきて、「え? 何それ?」って引き込んでおいて、っていうような「手法」が必要なんです。

「おばさん禁止」ってことと、「オーディション」のことと、「女性が35歳から老けたと感じ始めること」と、って感じでいくつか別の「要素」があって、それを頭の中で組み立てて「というわけで、私、おばさんだからをやめてほしいんです」って感じで読み手を説得しているわけです。

だから、ただ引き出しから記憶を取り出して、並べるだけではないので、「あっちから使えそうなネタ」を持ってきて、「こっちからちょっと笑えるエッチなネタ」をはさんで、って感じで、プラモデルや家を組み立てていくような頭の使い方をするわけです。

でもですね、小説の場合だと、全くの僕の「作り話」なので、最初から頭の使い方が違うんです。

例えば、「雨の日に、失恋した女性の話を書いてみようかな」ってなんとなく思いつきますよね。

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