最後の晩餐

明日死ぬとしたら今夜は何を食べるか、いわゆる「最後の晩餐」を考えてみました。

僕は四国の徳島で18歳まで過ごしました。そこは香川の延長の「うどん文化圏」なのですが、実は関西の延長の「粉モノ文化圏」でもあります。

というわけで、大体、町内に必ず「お好み焼き屋」が一件はあります。たぶん「何か小さい商売でもやろうかな」っておばちゃんが、自宅を改装して「お好み焼きだったら、粉モノだし、簡単だ」という感覚で始めるんだと思います。

僕は小さい頃から両親が忙しく働いていたので、土曜日は学校から帰ると(当時は土曜日はお昼まで授業がありました)机の上に500円札がおいてあり、小学校4年生くらいの僕は自転車に乗って、近所のお好み焼き屋さんに食べにいくというのが、日常の風景でした。

もちろんそのお好み焼きは「関西風」です。粉も具も全部混ぜて、自分で鉄板に油をひいて、ジュワっと焼いて、裏返して、ソースと青ノリと削り節をかけて、自分で小さいコテで切り分けて食べます。僕が小さい頃はマヨネーズをかけるという作法はまだまだ「新しい流れ」な感じがして、僕はかけませんでした。

しかし、徳島市内に「はやし」という広島風のお好み焼き屋さんがありまして、普段、関西風を食べている僕としては「風邪をひいて学校を休んだときに母が買ってきてくれるお好み焼き」というすごく特別で贅沢なお好み焼きでした。その「はやし」のお好み焼きが18歳までは自分の中で「最高の食事」でした。

そして東京に来たら、結構どのお店も「広島風」なので、嬉しくなって一時期は色んなお店に行きました。ですので、20歳までなら僕の最後の晩餐は「広島風お好み焼き」です。ちなみにお好み焼きはもう食べられなくて、ここ10年以上も食べてないです。

お店を始めてからは、フレンチレストランに行くというのにはまりました。もちろん夜は営業で行けないので、ランチを予約して、妻と二人でシャンパーニュから始めて1本ブルゴーニュをあけるというのを、毎週一回はしていました。

だから、あの頃(30代半ば)だったら、最後の晩餐は「フレンチで美味しい熟成したブルゴーニュをあける」だったと思います。

でも、フレンチのコースを全部ってもう食べられなくなったんですよねえ。4年前の僕の誕生日に「久しぶりにフレンチに行こう」ということになって、あるレストランに行ったのですが、最後のメインの料理がもうお腹いっぱいで、半分しか食べられなくて残してしまってからは、フレンチからはどうも遠ざかっています(フレンチで働いている方ごめんなさい)。

さて、今だと何を「最後の晩餐」にするか、考えてみました。

僕は月曜から土曜までずっと夜は働いているので、家族3人で夜の食事が出来るのは日曜日だけなんですね。

だから、娘が小さいときは、渋谷か下北沢か吉祥寺に出て、娘が好きそうなパスタ屋さんに行くというのが決まりのコースだったのですが、最近は日曜は娘はライブに行ったりして、妻と二人で食事というのが多くなりました。

意識的に「今、話題の新しいお店」っていうのをチェックして出かける時もあるのですが、僕が原稿を書いたりしていると、あっという間に夕方になってしまって、「じゃあ手巻き寿司にしようか」となることがよくあります。

近所のオオゼキというスーパーに行って、刺身の盛り合わせを買って、何か適当なスパークリングワインを買って、妻がサラダを作っている間に、僕がご飯にお酢を入れて酢飯を作って、そして二人で録画した「アド街ック天国」とか「鶴瓶の家族に乾杯」を見ながら、海苔で巻いて食べるというのが最近の日曜日の夕食です。

で、僕が酔っぱらって眠たくなってソファーで寝始めると、娘が帰ってきて「ソファーで寝るんだったら自分の部屋で寝て」と叱られます。

これが今は「最後の晩餐」で良いかなあと思っています。

#コラム

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この記事は投げ銭制です。この後、オマケで僕のちょっとした個人的なことをすごく短く書いています(大したこと書いてません)。「最後の晩餐を人に質問すること」です。

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