女性が「こういう顔になりたい」ということ

先日、テレビで武井咲が出ていて、妻が「本当に可愛い!」を連発してたんです。

まあ確かに可愛いとは思うのですが、そこまで可愛いかなあとか思っていたら、妻が「こういう顔になりたい」って言うんです。

たまに女性が「こういう顔になりたい」って言いますよね。あの発想って「女性独特」と言いますか、僕はまだ男性が「○○みたいな顔になりたい」って言ってるのを聞いたことありません。

ちなみにうちの妻は一番わかりやすいのは「金メダルをとった頃の荒川静香」に似ていまして、ああいう顔の形なんです。

で、「卵形の顔になりたい!」ってしょっちゅう言ってるんです。

でも、妻が「卵形の顔」になったら、それってもう全然別人でして、妻の今の魅力は全くなくなってしまうんです。

だから、妻に「武井咲も『こんな卵形の顔がイヤだ』って思ってると思うよ」と言ったら、「絶対にそんなことない。私はこの顔で満足だって思ってるはずだ」って言うんです。

いや、それはどうかなあ、武井咲、「自分の顔、最高!」とは思ってないはずですよね。

うーん、どうなんでしょう。本当は思っているのでしょうか。たまに鏡を見て、「やっぱり私の顔、可愛いなあ」と思うものなんでしょうか。自信がなくなってきました。

 ※

でまあ、こんな仮定を想像してみるのですが。

生まれるときに神様が「どんな顔でも良いから自分の好きな顔にしていいぞ」って言ってくれたとして、「こんな顔が良いなあ」とは決して思いえがけないですよね。

というのは、人って「元」と言いますか、「オリジナルの自分の顔」というのがあって、初めてそこで、「この顔をもう少しこうしたい」とか「この顔はイヤだから、もっとああいう顔になりたい」とかって考えると思うんです。

「これと比べて、もっとこんな感じ」という風に「相対的」ですよね。

いわゆる「絶対的ななりたい顔」ってないと思います。

そして人生もやっぱり「今の自分と比べて、もっとこんな感じ」という風に、どうしても「相対的」になってしまうようです。

たぶん人って、生まれる前に神様に「どんな人生が良いか自分で決めて良いよ」と言われても、「じゃあ、こんな人生」とかって言えないですよね。

「今の自分はこうだから、こういう風になりたい」って考えるように思います。

僕たちはどうやらすべて「相対的」で生きているようですね。

#コラム

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この記事は投げ銭制です。この後、オマケで僕のちょっとした個人的なことをすごく短く書いています(大したこと書いてません)。今日は「今、妻の友人がテレビで」です。

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