「誰だってやれるよ、頑張ろう!」という言葉について

僕、とにかく「機械音痴」でして、例えばワードとかエクセルとかPDFとかの使い方って全くわからないんです。

でも、現代で仕事をしていると、どうしてもそういうことってやり取りが必要なことがあって、「すいません。僕、そういうのが全然わからないんです」って先に伝えるんですね。

すると結構優しい人が、「なんとかしてあげよう」、「林をこの苦しみから救ってあげよう」と思う方が必ずいらっしゃるんです(本当にいつもありがとうございます)。

で、必ず「どこがわからないんですか?」というようなことを言われるのですが、すいません、どこがわからないのかが全くわからないんです。

もうチンプンカンプンと言いますか、なんにもわからないんです。

それで、そのまま「すいません。全くなんにもわからないんです」って伝えると、多くの方がちょっと「カチン!」とくるようなんです。

たぶん僕がちょっとふざけていると感じるんでしょうね。

それで一度、教えてもらっている時に「林さんは、わかろうとしていない!」ってすごく怒られたことがありまして。うーん、たぶん、すごくわかる人にとっては、僕が最初から「わかろうとしていないんだ」と感じるんでしょうね。

で、その方には、「じゃあね、これをもし自分で全部やりとげたら、ムチャクチャ好きな女の子とセックスが出来るとするじゃない。そしたら、林さんもたぶん頑張ってやれると思うんだよね。すごく検索して調べて、色々と試して自分で最後までやれると思う。でも今やらないということは、そこまで本気になってないんだよ」って言われたんですね。

そのとき、思ったのは「いや、それでもわかんない」ってことなんです。

「オリンピックで金メダルとったら、メチャクチャ好きな女の子とセックスができる」って誰かに言われたとしても、まあ金メダルとれないですよね。そんな能力ないですから。

それと同じなんです。僕にとっては、PC上の、ネット空間上の、いろんなことを「さらさら」と理解するのって、オリンピックで金メダルをとるくらい、「無理」なことなんです。

でも、「わかる人や出来る人」ってそれをわかってくれないんですよねえ。「いや、わかるでしょ。そんな難しいこと言ってないよ。だって誰でも出来てるし」って感じなんです。

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それで、この僕の「機械音痴問題」が立ち上がるとき、必ず僕は、「やりたいけど、どうしても出来ない人たちの苦しみ」ということを、リアルに感じることになります。

世界にはそういう問題ってたくさんありますよね。働きたいけど働けない、外に出たいけど出られない、他人とうまくやっていきたいけどやっていけない、いろんな「みんなはやれるけど、自分には出来ないこと」ってあります。

でも、「出来る人」は、「やればいいじゃない。頑張ればいいんだよ。本気でやる気になれば誰だって出来るよ。本気になってないだけでしょ。甘えるのもいい加減にしようよ。ほら、やる気だそうよ。簡単だよ。やれるよ。ほら、やってみよう!」って言いますよね。

こういう「ほら、誰だってやれるよ。頑張ろうよ!」って言葉って、出来ない人にはすごく「暴力的な言葉」なんだなあ、と、この「機械音痴問題」にぶつかるといつも痛感します。

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ああ、でもアマゾンの僕の著者ページの更新と、noteでラジオはやってみたいなあと思ってます。セックスできなくていいから。

#コラム

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この記事は投げ銭制です。この後、オマケで僕のちょっとした個人的なことをすごく短く書いています(大したこと書いてません)。今日は「今日、この後、僕がインタビューする側なのですが」です。

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