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共依存からの脱却への道―ゲシュタルトの祈りに学ぶ


以前のアカウントで、ゲシュタルトの祈りというタイトルで、
記事を書きました。
今は、跡形もなく消してしまいましたが。

学校の図書室でこの詩が載った本を見つけ、
その感想を含めて手紙に仕立てました。

この詩に、
わたしが、他者との付き合いに求める、相手との関係が、
そこに書かれてありました。

わたしのことは、わたしが決める。
きみのことは、きみが決める。
ふたりのことは、ふたりで決める。

つきあう上での約束

見つけた本では、詩の最後が、
「見つけられなくても、それもまた素晴らしいこと」
と訳されていました。

でもわたしは、のちにまとめたnoteの記事では、
手紙とは違って
「しかたのないこと」と訳し、発信しました。

すると、わたしが手紙を書いた、
当時のわたしを支えてくれていた人から
「しかたなく、ない」と言われたのです。

すぐさま修正して、再公開しました。

発動したのですね、
見捨てられ不安が。

自分の間違いに気づいた


こうして振り返るとそのときの行為は、
その人の価値観に、わたしが合わせた結果です。

なぜこの記事では違う訳し方をしたのか、
説明もせず、修正しました。

違いを知っているのは、手紙の相手だけだから、
noterさんたちへの説明はしなかったのです。

わたしに指摘してくれた人は、
表現を変えてもらいたくて、そうしている
そう判断しました。

それでわたしは、
この大切な人に応えようとしました。
その人が、
わたしから離れてゆかないようにと考えたのです。

別れ


他人との関係においてわたしは、
お互いが関わることは、話し合って、
納得のいったことをしていくことを
わたしは求めています。

人との交わりは、
常に変化するものだと思います。

信頼をベースにおけば
いくら変わっても、安心できるはずです。

この時、相手に自分を合わせました。
そこに現れた私の本性は、見捨てられ不安でした。

この本性が、自分がどう感じているのか、
考えているのか、
伝えさせなくなしていました。

自信がない自分を見せたくないと、
こころを閉じ始めたのだと思います。

そんな本性を持った自分が、
相手にふさわしいのか、とも。

ふさわしいかどうか、決めるのは、相手なのに、
相手に変わって、自分を評価していたのです。
これは大きな思い違いです。

「誰と付き合って、誰と付き合わないか、わたしが決める」
わたしの価値観で、判断を押し付けてしまったのです。
そしてその結果、その人はそのとおりに、離れて行きました。

大切なその人は、誰にも打ち明けられなかったわたしの苦悩を、
初めて話すことが出来た、優秀なセラピストでした。

その人には、カウンセリングをしている自覚はなかったけれど、
わたしのゆう事を一度も批判せず、
わたしが自分を卑下すると、それさえも否定せずに、
「そのような自分だったという事ですね」、
と私に客観的になれるよう、言い換えをしてくれた人だったのです。

わたしはまた、相談できる人を失ってしまいました。

ただ、わたしは大きく変わったところがあります。
それは、自分を好きになる努力を続けていることです。

それを維持しているから、自分が思い通りにならないとき、
その状況に、長い時間、腹を立てることがなくなりました。

忍耐することが出来るようになりそうです。

共依存のこと


ここまで読まれた方の中には
気づかれた方がおられるかもしれませんね。

わたしは自覚のない共依存者なのかも知れません。
自尊感情が低く、
見捨てられる怖さを抱えながら生きてきたところなど、
該当する特性が見られます。

突然の離職という、社会的地位を失い、
収入が途絶えるという状況に陥り、
のちにセラピストまで失うという状況、
自分の社会的、経済的、心理的拠りどころがなくなったことを自覚した、
これを「底つき」と呼ぶこともできると思います。

その状況が、5月末から9月末まで5か月間続きました。
現在もリハビリ中ですが、こころが負った痛手は完治してません。

唯一、自分をさらけ出すことができたセラピストとの面談を
続けたいと願っています。
他に見つける気力がないのです。

しかし、セラピストとは連絡することもできません。

本来ならばすべきこと


自分の弱さは、自分で克服しなければなりません。

しかし、独力では困難だと思うなら、
本来、わたし自身がアドバイスすべきように、
信頼できる、他のセラピストの力を借りるべきなのです。

この先、どのような展開を経て
わたし自身が共依存状態を克服していけるのか、
そこでまた、ゲシュタルト療法に行き当たるのかもしれません。

サポート、ありがとうございます。もっと勉強して、少しでもお役に立てる記事を送りたいと考えております。今後ともよろしくお願いいたします。