なみだ流れた夜
先ごろ、いたずらしていて
以前のアカウントを
消してしまった。
以前の記事は
すべて消えてしまったけど、
ま、良いか
そう思えた。
でも、
スキを送らせてもらった記事
させてもらったコメント
みんな消えてしまったみたいで、
申し訳ないやら
寂しいやら。
同じ名前で再出発
フォローしていただいてた方々の
多くとつながり直せました。
一ヶ月が過ぎ昨夜、
そんなクリエイターさんの記事をはしごしていて、二つ向こうの記事に跳んでコメントしようとしたら
一ヶ月前の
自分のコメントを見つけてしまいました。
昨夜の感想とほぼ同じコメントでしたから、記事を読んだに違いありません。
なのに、記憶に残っていなかった。
ショックでした。
これは、もしや、認知症の始まりではないのだろうか。
自分のパーツが壊れて、ポロポロとこぼれ落ち始めたのではないだろうか。
そう思えたのです。
自分を受け入れる作業中なのに、自分の一つが壊れているのを見つけてしまった。
「それもまた自分だよ。受け入れたら良いよ」そう言われるでしょう。
私なりに理解している「自己肯定」の道筋に、記憶障がいがあろうとは!
涙があふれ、嗚咽していました。
自分が自分ではなくなると言う不安。
4時間後の今、
それもまた自分のありのまま。自己理解や自己肯定出来るパーツの集まった自分である事に間違いない。そう思います。
悲しい気持ちを持った自分も、私です。記憶を失っていく不安を持っているのも私。「だからって、何がどうなるの?物忘れの親玉じゃんか(笑)」という私も居る。今ある私で生きていけば、何とかなる。今までも、百パーセント思い出しながら生きてたわけじゃないんだから、なんとかなるさ。
今、生きていること自体が幸せなんだった。何度も死にかけて、戻ってきたんだから、。大丈夫だよ~♡
凝り固まったこころ
この涙が解凍してくれました。「なんで?どうして?こんなに苦しいよ」しあわせのある明るい半分に立って、辛く苦しい暗い半分をじっと見つめてたんだな~って気が付きました。たくさんの良い思い出は、思い出ではなく記憶。生き生きとした記憶だから、今からでもその記憶の次の物語が始まっても大丈夫。物語は終わっちゃいない、そう思い直す事が出来ました。
サポート、ありがとうございます。もっと勉強して、少しでもお役に立てる記事を送りたいと考えております。今後ともよろしくお願いいたします。