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#137 謝恩 / 恩赦

 花に嵐のたとえもあるぞさよならだけが人生だ、といわれてもさよならだけが人生か? と思ってしまう人はあんがい多いらしい。と、わざわざ話題に出すあたりがあまりにも卑俗というか凡庸であるなと思うのですがまぁええわそんなこと。
 だいたい書き出しに苦労する。

 またぞろ別れの季節ということで、息子の卒業する学童保育の、これまた責任者、室長というのが10年ぶりだかに異動になる、てぇんで謝恩会をやろうというのが父母会のメーリングリストで回ってくる。その日(日曜)はたまたま出張なんで(藤二鶴の日ですわ)行かんのですが、なんで謝恩のために集まって飯食わなあかんねん、というのはずっと意識にひっかかってぶーらぶらしている。学童のOBOGにもお伝えください(と、書いてある)、ということはそうした若者もぞろぞろ(か?)やってくる。どんだけ人が集まっても、異動する先生は、増えない。
 問 この状況下において謝恩できる時間の期待値を求めよ。ただし参加費は大人9,900円、こども5,940円とする。高っ

 となると、もうこれは謝恩というよりも「かこつけてパーティをしましょう」という意識のほうが強いわね。残念ながら(残念でもないんだけど)横のつながりが皆無に等しい当方夫婦としましても、座席の上でイツモシヅカニワラツテイルしかなく(宮澤賢治の声をお借りしました)、ぶっちゃけサウイフモノニワタシハナリたくない。ヤ゙だなぁ~、という感想しかわかない。

 そもそも謝恩てなんだ、ひっくり返したら恩謝か! と思って変換してみたら恩赦だったんでちょっとびっくりした。語源というか字面が気になってくる(さが)。角川新字源を引くと恩という字にはめぐむとかいつくしむとかの意味があるそうです。ゆえに「恩知らず」というのは「めぐんでやったことも忘れやがって」という文脈上にある言葉なのだ。なるほどなるほど。ゆるしをめぐむのが恩赦。謝をめぐむのが謝恩、違う。このばあいはめぐみに謝する、と読むので、動詞は謝のほうとなる。めぐみ礼をいう。だったらやっぱり飯を食わなくていいぢゃん! という結論に至るのでございます。
 ついでに恩謝ということばも新字源には載っておるが、あんまり使われていた事例を思いつかない、ということはおそらく殆ど死んだ言葉であろう。
 というわけで、A 行かないので求めません。まぁなんか、手紙でも連絡帳でも、ちゃんと書いといたほうが読まれるのではないだろうかしら。本人は新事業引き継ぎのためにほぼ来ていないらしいが……

※ 参加した職員分の代金を載せている、とのこと

みなさんのおかげでまいばすのちくわや食パンに30%OFFのシールが付いているかいないかを気にせずに生きていくことができるかもしれません。よろしくお願いいたします。