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#110 なぜおっさんは合宿に行くのんか

 演劇部の合宿に行ってきた。「困ったら犬神」稽古。たしか2019年、「金田一じゃないです」のとき以来なので4年ぶりということになる。本隊は火曜から金曜までの3泊4日だが、当方おっさんは水曜の夜に出て金曜の昼一足先に帰る行程となる。つまりはカミさんに木曜だけ夏休みを取ってもらっている。

 冷静に考えると、中年男性が人様に夏休みをとってもらってまで高校生の合宿に参加する意味があるのか、ということになるが、これはあるかないかでいえば「ある」という話にしないとカミさんも休みを取った甲斐がないし、こちらも大手を振ってあずさに乗れぬ――強いていえば(強いて云わねばならんのか)「迷いをなくす」のが役目なのかもしれない。

 おおかたの演劇部の今ひとつ伸びきれない感の原因の一つには「方針の固まらなさ」というのがあると思っている。
 たとえば、と思いつくままに挙げていくが、①演劇部はあくまでも学校教育の一環だから、どうあっても学校教育的、道徳的である(=先生が主導権を握る)ために、指導者の能力はさておいて「合格ライン」を超えさえすれば自分やくしゃの役目を果たしたことになってしまうパターン。②仲の良い同士で集まって台本をもってきた結果、客に見せるという意識がないまま出来上がったもので「よし」としてしまうパターン、③顧問の先生が演劇好きマニアで、俺の世界だいほんを(好むと好まざるに関わらず)部員にやらせてしまうパターン。④メンバー同士の主張が強すぎてまとまらず、配役や台本の解釈などを巡って意思統一が出来ていないパターン。もしくは、そのへんの主張の食い違いをどうしても一本化できないまま稽古をして本番に臨んでしまうパターン。――本記事ではどのパターンの損座も否定するわけではないが、迷いがあると舞台が大きくならない、ということだけはわかる。そんなん、いままでにようけ観てきました。

 おっさんが合宿において実際にやっていることを書いていくのですが、まずは事前に一度通し稽古を観せてもらって、通称「怪文書」と呼ばれる作文をする。これは台本のテキストから読み取れる設定の掘り下げやロジックの整理、つまりは台本に対する(中年男性なりの)読み解きをして表すべきテーマ性を仮置したり、役柄のキャラクターを想像して仮に設定した文章のことで、これを顧問を経由して部員に送りつける

 大事なポイントは2点、このおっさんによる怪文書は全く的外れでもよく、テーマを共有する一方で「そうかもなあ」よりも「いやいやそうじゃねえだろ」を誘発するところに意味がある気がする。少なくとも作品全体の構造は文章化することによって共有できる。少なくとも次の本番で、作品を通して観客に何を見せられたら成功と言えるのか。
 もう1点は、演劇部という現場の中で作り上げたものに対して客観的なツッコミを入れ続けるところにある。台本に描かれていない部分を「ここの部分が描かれていないと話が通じねえんですけどォ」と、(顧問が親切でない台本を書く傾向が強いのもあるが)外部から、ということは観客から観てよくわからねえことをガンガンつっこんでわかるようにしていく。
 これは前回の記事(#109)で言及した<周りのスタッフなんかが「この辺は齟齬があるので直しましょう」とか「この辺はコストがかかりすぎますのでもうちょっと簡略化しましょう」とか>の作業でありますが、とにかく、我々は何を作っているのか、何を世間に見せようとしているのかを共有していないとどうにもならんのです。

 で、合宿に行く。大体チェックしているのは全体としての盛り上がりと盛り下がり、メリとハリ、長台詞ばっかりなどつまんないところ、具体的には観ていてダレるところを一個ずつ潰していく作業。あくまでもおっさんは”外部”でなくてはならんのである。で、どんどん云う。不快だったら云う。ここまでくると最終的な完成が見えているから、云わずにおられない。これで多少嫌われたところでどうせおっさんだからなぁ。既婚子持ちだからなぁ、というところにおいては結婚しといてよかった。子ども作っといてよかったと真に思っている。その辺は当方いまだに八方欲まみれなのだが、この現場といっときの過ちを天秤にかけたら、圧倒的に現場の方が重いだけなので。

 ただ、そうした視線を反映させることで、傍から見て瑕疵のない作品には今のところなっている。たぶん現役の高校生が観た場合と、われわれのようなおっさんおばはんが観た場合と、演劇専門の研究者が観たのでは違う感情が起こる気がする。光の当て方で煌きが変わるみたいな。アレキサンドライトみたいな。

 旅館の宴会場の舞台から本来のホールの大きさにフィッティングさせる作業がそれなりに大変なんだけど。でも、せめて20日の本番までは、自分たちが合宿でやってきたことを根拠に迷わずに舞台にあがってほしいな。ここで出来たことで観客をシンプルに圧倒してほしいな、と願わずにはいられません。

――と、なぜおっさんは合宿に行くのかを文章化したら、わりあいにちゃんと働いていることがわかった。レクリエーションの人狼にも参加して真面目に人を追い込むような大人げない遊びかたもしましたが、ちゃんと「観客からみて面白いかどうか」の視点は機能している。おとなとかこどもとかじゃなくて、舞台は人に見せるものだから、その一点に尽きる。
 しかし、制作の現場は世界の最先端だ。この現場にいる人間しか知らない制作物ことを、これから世の中にぶつけてなんらか影響を与えていくのだ。
 こんなに楽しいことはそうそうない。

――しかし、4年ぶりの合宿で気分が盛り上がっていたのだ、普段食わない量、おかずに足りるだけご飯をおかわりしてみたり、昼のカレーライスは大皿で三倍おかわりしてみたり、24時間入れる温泉だからって眠れないのをいいことに夜中に2回入ってみたり、いろいろと気分に任せて野放図した結果、帰った日からよく土曜まで死んだ虫のようになっておった。ヤングら二人にはオリジン弁当ののり弁とパックの寿司を投げて本人は起き上がる気力もなかった。
 精も根もすべて合宿で出し尽くした。あとはいい感じにやれッ。

みなさんのおかげでまいばすのちくわや食パンに30%OFFのシールが付いているかいないかを気にせずに生きていくことができるかもしれません。よろしくお願いいたします。