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【親父さんの背中】

親父さん(会長)が亡くなってちょうど3週間が経つ。昨日から今日にかけて親父さんの会社の机を整理していると色々と使っていた道具が出てきて寂しくなった。しんみり後から来ますよというのを感じ始めてきたといったところだ。

親父さんは本当に何も教えるというわけでもなく昔ながらの背中を見て覚えろというような時代を象徴する人であった。そういえば、2年前の夏ぐらいに硬膜下血腫となり、車の免許を返上していったくらいからだんだんと痩せていったというのは長年の糖尿病の影響だったのか、行動が制限されていって活力がなくなってきたからなのか、いずれにせよ筋力維持の努力は元々していなかったのだから仕方のないことだったのだろうし、車の免許を返上したのは正しかったと捉えるべきだろう。

だから、シニアカーに乗り始めたのは2年くらい前からで、よく一人で夕方シニアカーに乗って帰る後ろ姿があまりに哀愁が漂い時々写真を撮っていたのだが、今写真データ探してみると上の写真以外に見つけられなかった。そう考えると、親父さんには背中で色々教えてもらったと改めて感じる。

家業に戻ってからは親父さんとは取っ組み合いの喧嘩をよくしたものだが、晩年は、仕事に信頼が出始めてきたのかあまり何も言わなくなった。そのシニアカーに乗り始めた後にすでに痩せた時にも一回喧嘩したことがあって、今でもよく覚えているのだが、ちょっと押すと親父さんが簡単に後ろに倒れて頭を打ちそうになった。「俺を殺す気か!」と言われ、その親父さんの軽さにものすごい寂しさを感じたのを覚えている。その時自分が犯罪者にならなくてよかったのだが、取っ組み合いの喧嘩をすると危ないと感じ、親父さんもあまり何も言わなくなったのもあり、その後は喧嘩をしなくなった。

昔の写真を探すようになったほど少し落ち着きが出てきて、ちょっとした時間でも親父さんの写真を探すというのは、仕事しか趣味がなくせっせと会社に通った親父さんに今になって会いたくなったからだろう。その中でもあのシニアカーに乗って帰る姿を探すという理由はわからないのだが、当時特別印象的で、何かそこに意味を求めているか、哀愁というものに人間は惹かれるところがあるのかもしれない。まだまだ寂しさが癒えない母親の気持ちがわかり始めて、これから寂しくなってくるのだろうが、そんなことをかき消すようにできる限り毎日を一生懸命忙しく生きたいと思ったのであった。

#会長 #親父さん#別れ#シニアカー#糖尿病



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