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「自分ができることは大抵の人間にもできる」の呪い。

暑いよー!
昨日まで出張だったのですが、スーツが本当にしんどかった。荷物が多くて日傘をさせず、ジリジリに焼かれ……用務完了後は即刻飲み屋へ駆け込み、黄金色の生命の水を摂取して一命を取り留めました。

さて表題についでですが、これはわたしの基本的な思考です。わたしは偏差値50人間なので、客観的に見ても、わたしにできること・超えられるハードルは、世間の半分くらいの人にもできることなんですよ。
ただこの思考は、いい面も悪い面もあります。

いい面は、ちょっと無責任であれることです。
たとえば有名アイドルや一流の医者のように、替えのきかない人材というのもたしかにいるのですが、一般的な職場の一般的な事務職くらいなら、自分ができることくらい他人にもできてもらわないと困るんですよ。

「わたしがいないと職場が回らないわ!」や「辞めたいけど欠けたら困ると引き止められる、辞められない」といった状況は、自分は必要とされる存在であると認識できて、ある種ちょっと気持ちいいものではあるのです。
大学生のころにバイトをしていたコンビニで、ま~~~口うるさいパートのおばちゃんがおりました。やれ釣りの渡し方が悪いだの、混雑時の客のさばき方がとろいだの色々言われ、彼女がいないところで副店長(社員)に慰められる始末でした。他の人がやってしまった電子マネー決済時のミスを、きちんと原因を調べもせず「どうせその時間にシフトに入っていたお前のせいだろう」と決めつけられたのはさすがにキレました(わたしはわりと戦闘民族なので、理不尽なことが起きればひとこと言いたくなってしまう)。わたしより後に入ってきたバイトの子は、そのおばちゃんに色々言われてさっさと辞めていきました。
パートのおばちゃんとしては「わたしが注意してやらないと、こいつを指導してやらないと」という気持ちだったのかもしれません。しかし同じ時間にシフトに入るわけでもなく、指導係として任命されているわけでもないので完全に余計なお世話なんですね。ただ彼女はそうやって色々と口を出すことで、このコンビニを支えているのはわたしだ!くらいの自負は確実にあったでしょう。自分には替えが効かないと思いたいんですね。

そのコンビニは半年くらいで、ほぼバックレるようなかたちで逃走しまして、辞めるにしても手続きや礼儀がいるだろう、人手が足りないのに勝手に辞められても困るみたいなことも言われました。前半部はごもっともなのですが、普通に考えてひとりが欠けたくらいで回らなくなる組織はやばいので、辞めたければさっさと辞めた方がいいと思います。次に入ってくる人も、きっと十分な仕事はできます。大抵の場合、替えはいくらでもいるのです。

一方で、自己肯定というもののしどころがわからなくなるのが問題です。
仕事だけでなく趣味などの面でも、自分に出来ることは当然みんなも出来ると思っているので、たとえば「特技はなんですか?」と訊かれても返答に困るんですよね。いやいやもっと能力の高い人がいくらでもいるし……と、特技として口に出すのを躊躇してしまいます。これは結構な呪いでして、人が褒めてくれる言葉を素直に受け取れなかったり、何をやってもだめなんだわ~と負の感情に陥ってしまったり、単純に、なんかいやなやつになっちゃうんですよね。

わたしの場合、イラストが描けること、絵画に関する専門知識があること、英語やフランス語をちょびっと理解できることなどなど、履歴書の「趣味・特技」欄に書く必要がある場合は書くのですが、描いたイラストがSNSでめっちゃバズってます!とか、指導経験があります!というレベルではないし、ツッコまれたらどうしよう~と考えます。明らかに考えすぎですね。みんながみんなにプロ級のことなんて求められていないんです。
いろんなことをそこそこできるわたし結構すごくない?のメンタリティが必要ですね。

出張から帰宅すると先週まで通っていた英語クラスから封書が届いており、卒業試験代わりのIELTS模試の結果が入っていました。
最終成績は、L:6.0 R:7.0 S:6.0 W:6.0 とのこと。
Lが6.5あればOA6.5に乗せれた……よね?あああ
しかし今後も、継続して英語学習は続けていきたいです。

【最近摂取したもの】
(マンガ)
オノ・ナツメ「BADON」9巻
佐藤二葉「アンナ・コムネナ」5巻

(展覧会)
「YUMEJI×FASHION」@夢二郷土資料館
岡山市立オリエント美術館
「滋賀の家」@滋賀県立美術館
「生誕130年記念 北川民次展―メキシコから日本へ」@名古屋市美術館
「北條知子 recordari」@愛知県立芸術大学サテライトギャラリーSA・KURA


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