努力のコスパについて

 先日来、「努力」と「コスパ」に関する話題が盛り上がって、様々な意見が集約されたので、まとめを言語化してみたい。簡潔に言うと若い時に努力した方がよい派(老害派)vs"""コスパが悪い""""のでしたくない派(コスパ派)の2つの派閥がある。

【老害派の主張】
・コスパ計算のスパンが短かく、長期で見ると大損してる
・人生は年によってゲームルールが変わるので20代のメソッドは30代以降通用しない。コスパ派の想定している諸元は一生20代の前提に見え、現実はその様にならない
・30代以降の環境では努力値を積んでないと詰む仕様になってる
・努力というか試行回数を積むことで所謂「死に覚え」できる。
・頑張らなかった時にどうなるかを想定していないor想定が甘過ぎる。
・積まなかった努力を後から取り返すことはできないか、やったとしてとてつもない遠回りになる

【コスパ派の主張】
・現代社会は一度失敗すると終わり
・努力は投資であり、今の若者にはその原資も無い
・昔は努力すれば良かったかもしれないが、今は時代が変わったので無駄
・若さを""""消費""""されたくない。努力はその方便にされている
・事前に成果を保証されないで努力したくない。変数に耐えられない。
・努力には有効な努力と無駄な努力とがあり、無駄な努力をすることに耐えられない
・努力派は生存バイアスのかかった意見。努力中に折れる奴がいる。
・若者なりの頑張りをしている。高齢者にはそれが見えていない。
・金じゃない
・上の世代が悪い
・必要と思う最低限度の所をやりつつ、最適な着地点を探している
・おっさんになったら死ねばいい

【全体感】
実はこの議論は双方とも「コスパ」を掘りに行っており、その点では満場一致になっている。ただその為の手法として「若い時に頑張ること」のコスパが良いのかを議論している。この議論の判断は難しいのだが、仮に現状のコスパ派に2回人生を体験させ、「した人生」と「しなかった人生」を後出し両方見た後で、どちらを選ぶかと言えば、恐らくは殆どが「した人生」を選ぶことになる気はする。(私が老害派なので)以下理由。

【老害派主張の全体感】
・コスパ派の先々の人生に対する解像度が荒い。特に「人生」ゲームのレギュレーションが年齢によって変わる事実を恐らくほぼ認識できておらず、20代と同様の労働をこの先ずっと続けられる前提でいる。特に「許され」「体力」「吸収力」の超チート3武器が20代限定付与で、後から没収される事実を知らないか意図的に無視している。
・仮に労働とその成果の享受を65まで続けるとした場合、20でした努力は表面上ですら44年分"""効く"""ことになる。50になってから追っかけても14年分にしかならない…というのは表面上の話で、実際にはそれどころの差ではない。まず吸収力が違い過ぎるので、1のインプットをした時の成果が何倍も違う。更にそれにより到達できる世界が変わるので可能なインプットが更に差が付いてしまう。これらの複合効果でイニシャルでした投資の効果というのはトンでもなく、それをした奴らとしてない奴で正面から殴り合いになれば、後者はまず勝ち目がない。

【コスパ派の意見に対するアンサー】
所々事実誤認があるんじゃないかと思ったので、可能な限り丁寧に回答する。

・現代社会は一度失敗すると終わり
嘘。成功者の人生について、恐らく一度の失敗も無いRTAの成功例みたいのをイメージしている様だが、むしろごく一部の例外を除けば、成功者ほど山ほど失敗してなんなら何度がへし折れて立ち直ってきている。敢えて言うならダメコンの話はあるが、これは後述。

・努力は投資であり、今の若者にはその原資も無い
努力が投資であることは事実だが、その原資は金ではなく時間と体力と気力。むしろ今の方が労働時間が短縮していて原資は豊富にある状態。

・昔は努力すれば良かったかもしれないが、今は時代が変わったので無駄
社会が変わった事自体は本当だが結論が真逆。バブル期の様な年功序列終身雇用みたいなものがもう死んでるのは事実だが、その結果、努力の有無によるその後の人生への影響の感度はむしろ上がっている。

・若さを""""消費""""されたくない。努力はその方便にされている
仮に労働力を搾取される事を「消費」と言うとして、それと自己の中に蓄積ができる事は普通に両立する。本当に"""コスパ"""を掘っているのであれば、総合計で評価する筈。

・事前に成果を保証されないで努力したくない。変数に耐えられない。
これもコスパを掘れていない。何故なら実は失敗の中にこそ本当に必要なエッセンスが多くあるので、イメージしている様な「一度の失敗もないキラキラの人生」なんてものはそもそもが存在しないか、あったとして極まれな例外だから。失敗も織り込みで試行回数を増やすことが多分一番合計期待値が高い。

・努力には有効な努力と無駄な努力とがあり、無駄な努力をすることに耐えられない
多分成功者も最初から両者を峻別なんかしておらず、可能な限り無駄な物は排除しつつも、限界を超えた所はバルクで取り組んできた。その過程で有効な努力と無駄な努力とを区別する見極め等を蓄積しており、少なくとも両者を峻別できる段に至っていないのであれば、その時点では無駄な努力をすることは十分に有意。それが出来る様になった後は以後無駄をパージすれば済む話で「最初からしないこと」を選択すれば多分大損する。

・努力派は生存バイアスのかかった意見。努力中に折れる奴がいる。
ここはダメージコントロールの話であって努力の有無とは別の話。できることはやりつつダメコンをするのは両立する。無理な時は完全にへし折れる前に白旗を上げて、それまでに拾った経験で食ってる人はいる。

・若者なりの頑張りをしている。高齢者にはそれが見えていない。
・金じゃない

これはそうなのかもしれない。ただ、年収N百万限界極貧ライフみたいのを楽しめるのは多分魂にまだ温度のある20代の特権であって、早ければ30代、40代になる頃にはほぼ100%物凄い後悔をすることになるのは間違いないとは思う。自分が本当に極稀な例外であることに何か明確な根拠と自信があるならトライするのも良いかもしれない。

・上の世代が悪い
いやお前が悪いよ。少なくとも下の世代からは100%そう言われる。

・必要と思う最低限度の所をやりつつ、最適な着地点を探している
これなら多分正解。君がチャンピオンや。

・おっさんになったら死ねばいい
実はこれは議論参加者の中で一番正解に近くて、究極のコスパ追及が出来ている。若い内にフラフラしておっさんになる前に消えてしまえば、インプットに対するリターンを最大化できる。実行できるなら。

【まとめ】
・全体としてコスパ派は目の前のことをやらない理由を探していて、とりあえず目についた物を全部取り込もうとしているが、解像度が荒い上に、願望で事実を歪めているので前提も結論も現実にフィットしていない。
・10歳の時と20歳の時の視座をイメージして欲しいが、当然後者の方が世の実態を正確に捉えていたと思う。それと同じで30歳の視座は20歳の視座よりも多分実態を正確に捉えている可能性は高くて、何故なら結論を導くのにインプットしたデータが多いから。まぁあんま行くとボケるからその限りじゃないんだろうけど、30代からでこう見えてるので多分もっと老害の先輩方の言ってる事は正しいと思う。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?