「自分で考えろよ」の正体

 銀行員時代、よく「自分で考えろよ」って言われて、最初本当に自分で考えて意見を述べてた。すると上席者は溜息をついて、「もういいよ」と言って何が案を寄こしてくる。暫くして気付いたのは「自分で考えろ」とは「俺の意見を推測して、責任だけお前に行くようにお前の意見として書け」って意味だった。

 暫く勤めて、完全にJTCに染まった私はその動作を完全に履行した。それが一番早いし、表面上自分の意見として出したとして、上司が例え逆さまにはんこ押したってルール上上司の責任になる。その内に自分で考えることを完全に止めた所で、自分で考える仕事しか無い本社に飛んでブッ倒れた。

 転職をして、新しい上司にも「もっとさぁ、意見出してよ意見」と言われたので、最初は銀行員仕草でこれまでの上司の言動をなぞって、なんか好きそうなことを推測して言ってみた。反応は全然悪くて滅茶苦茶期待外れみたいな顔された。これは、もしかして本当に案に困っていて、私の考えを聞いてる?

 じゃあやるならやったれと思って、ポエムを書いた。A4で3枚。今の業務はこんな構造で今上手く行ってないのはコレだから。コレが必要なので今やってることは止めてこうしましょう。私は何をします。と。ポエムと言ったのは、前職で同じ事をしたら発狂したと思われて西表島出張所に飛ばされるからだ

 結果だけ書くと部のアジェンダの2割くらい私がポエムに書いた中身になった。あ、良いんだ。自分で考えて喋って良いんだ。すると何だか仕事が楽しい様な気がしてきたし、成果物の一語一句気になる様になってきた。何故ならこれは上司でなく私の案であって、実行して成功したらワシの案で会社が儲かるから。それは誇らしい事だった。

 同時に成長の構造について気が付いた。人間は仕事を任されて、自分で考えて動いた時しかしない成長がある。上司の意見を推測するのは、一定の経験値は貯まるけど、そこから上がない。自分のパワポがそのまま役員会に上がって叩かれる所を想像しながらアウトプットする時にしか貯まらない経験値がある。

 そしてサラリマンが自分で考え始められる年限には限度がある。もし上司の意見を推測する仕事だけやって35を超えたら、そこから先の人生で自分の何かを作るのは多分無理な気はする。なぜなら上司の意見はただ先例をなぞってるだけで本人も何も考えてないから。その先例が今の正しいのかさえも。

 もし、今上司の意見を推測して自分の意見として書く仕事をしてるサラリマンの方で、業務のやり方や内容について、おかしいな、変だろ、非効率じゃんと思っていて、でもそんなこと言っても狂人扱いされるだけなので何も言わない方。多分なんだけど貴方は正しい。実際にそれはおかしくて変で非効率だ。

 仮にそれを言ったら全力で否定して相手にしない上司でさえ多分本当はおかしいと気付いている。でも彼も考えることをしないでそこまで来てしまったから、前例をなぞるしかできなくなってる。道が断崖に続いてるのが見えても止まれないし曲がれない。もうそれしかできないから。

 ラインの一部として、会社が今のまま続いてやり過ごせるならそれで良い。責任は上司が負うので。ただ、ずっとそれをやって考える力を無くした所で会社がブッ飛んだら、多分だけど上司も会社もそこから先上司の考えを推測しかできなくなった責任は取ってくれない。その時の事も考えた方がよいかもしれない。

 

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