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【#美術館】凡人の顔は、チケットのごとマッツァオ。



インスタの広告で偶然見かけて、「えっこんなの今やってんの!?」とびっくらこいて(死語)まんまと行ってしまった、「エドワード・ゴーリーを巡る旅」展。(6/11まででした)(大遅刻レポ)


数年前からエドワード・ゴーリー氏の絵本を少しずつ買い集めるような、こっそりファンだった私にとっては、行くしかない展覧会だった。

会場に入って一発目におそらく目にするであろう、「不幸な子供」という絵本の挿絵。壁一面のタペストリーにされている。
自分の部屋の壁がこれだったらいいなあ、と思わずにはいられない。


著作権の問題もあるため、作品そのものの写真は撮れなかったが、中には壁いっぱいのタペストリーにされた絵もあり、幸いにも、それは撮影が許可されていた。
本来なら真正面から撮りたかったが、来館したのが土曜日で人も多かったため、他の来館者の方々の邪魔にならないように、斜めアングルからサッと撮っただけであった。


ほんなら人の少ない平日に行きゃ良かったやんけ、というご意見もごもっとも、私もそう思ってはいた。
所用のため、前日にはもう都心3県にはいたわけだし。


だが件の前日(6/2でした)、ニュースになるほどのカタストロフィのような天気の中、意気揚々とオシャレして美術館へ〜みたいなあたおかムーブなど、私には出来なかったのである。
ただでさえ風雨にビニール傘をブチ壊されていたので。






作品自体、基本的に絵本の挿絵なので、一点一点がとても小さく、顔を近付けて見て、やっと分かるようなものだった。

ゴーリー氏の作品の細かさは既に知った上での観覧だったので、私は説明文や案内文を読んだりして、作品は遠目から楽しんだ。見ている人が近くにいない作品は、ササッと近付いて見られたりもしたので楽しかった。



ゴーリー氏の描くバスタブの表現方法が好きだなあ、と、近くで見て初めて分かったこともあった。バスタブの丸みや、その丸みへの光の当たり方が本当に上手く表現されているのだ。トーンも何もなしに、人の手で描かれた、線だけで。
線画で、こんな表現ができるのか。油絵や水彩画も素敵だけれど、線画の可能性もまた無限大である。



あと、やはり原画ならではの「修正跡」が見られたのも面白かった。

「ん?あっこれ修正液で修正してる!」と分かるような跡があり、世界中にファンを持つ作家でも、ミスは同じようにするんだなあ、と、他の人からすれば至極当たり前であろう所感を抱いた。

ニューヨーク・シティバレエの演目にもなった、「ドラキュラ・トイシアター」の表紙原画のタペストリー。見て分かるように、失敗したであろう箇所に紙を貼ってその上から修正したり、上から黒いマジック?のようなもので念入りに黒塗りされていたりと、コピーする際に紛れるようにするためだろう、修正という工程にも趣向が凝らされていた。


もうこの表紙原画なんか、「原画が用いられる訳でなし、コピーなら、なんとか、なんとかなる…!いや、なんとかなれーッ!(©︎ちいかわ)」感があって面白い。

弘法にも筆の誤り、猿も木から落ちる、というけれど、やっぱり天才も間違えたり、気に入らなかったりするもんなのか。





ゴーリー氏は、絵本の文章も自らレタリングしている。

絵本を開けば、文章の部分も指でなぞってしまうほど、見るからに素敵なフォントだし、よくもまあ本文自体をレタリングする気力があったものだと思ったけれど、本当はそこまでやりたくなかったらしい、という説明文を見て「エーッ!?」と思わず笑いが漏れそうになるのを堪えた。

細かいところまでは覚えていないので、間違っていたら申し訳ないが、確か、一度絵本の文章をレタリングで提出してみたら、編集者だか誰だか、偉い人に「レタリング良いね」みたいな褒められ方をされて、もう引くに引けなくなってしまい、そこからの作品もレタリングで物語を書くようになったらしい。

どこか寒気を伴うクリーピーさを持ちながらも、どうしようもなく人を惹きつける作品を描いてきた人にも、そういう人間らしいところがあるのが面白かった。
あるよね〜そういうことって。





松濤美術館に入り、私が一番最初に見たゴーリー氏の作品は、「恐るべき赤ん坊」だった。

まるまるとした姿の赤ん坊、の、後ろ姿。赤ん坊の姿に嫌悪感を覚えたのは、初めてだった。タイトルや説明文を読む前に感じた、「なんだこの赤ん坊は…」と、どこか憎たらしいような感情。
どこか憮然とした態度にも見えるその後ろ姿は、可愛くない、と思うに相応しい描かれ方をしていた。

後ろ姿というシンプルな題材と、絵のタッチだけで、ここまで人の感情を動かせるのか、と、初っ端からゴーリー・ワールドに引き込まれてしまった。


ニューヨーク・シティバレエのためにデザインされたであろう大判のタオルも、タペストリーのように飾られていた。そのデザインに、私は、自分の目が輝いたのを自覚した。

バレエの脚のポジション、1番から5番が、上から順に描かれているのだ。
バレエを少し知っている人なら誰でも気に入るそのデザインは、ゴーリー氏のバレエ愛の現れとも言えるだろう。おしゃれなことするな〜、なんて、他の観覧客の方々にバレないように嘆息した。

あれがグッズになってたら、絶対買ってたなあ。





青空の松濤。
アパートのバルコニーは丸みを帯びた形になっていて、それに沿うように手すりも湾曲したおしゃれな様相。
一階には飲食店等が入っていて、屋根や庇の形も相まってどこか、フランスやイタリアらしさを感じる。


前日の世紀末の様相は何だったんだ?と思えるほどの天気の良さと、初めて来た、ちょっと異国情緒感じる、素敵な町。

お金も無かったので、自分がどうしてもほしい、と思ったお土産だけ、いくつか厳選して買った。美術館を出て、やった〜、と体をこっそり跳ねさせるくらいに、単純に、嬉しかった。

お金も無いし、恋人もいないし、友達も人より少ないけれども、好きなものがあって、それを見に行ける機会がある。
私はこういう幸せで、充分満足だわ。と思った、実に良き日であった。


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