ダウンタウン特に松本人志氏について

昨年末、ダウンタウン松本人志氏による性加害報道が出、今年になって松本氏の芸能活動休止が発表された、この時点で記事を書いています。かつてはダウンタウン特に松本フォロワーであったことから、一連の報道を扱った記事やYouTubeは注目して見ています。一応私のスタンスを述べておくと、現時点では事実関係ははっきりしていないからその点については明言はできないものの、被害を訴えた人たちの話は尊重して聞くべきであるし、いくら吉本と株を持ちあっていようとも、TV局はもっとこの件を報道すべきという意見です。更に言うと、このような合コン?というか飲み会の存在は、松本氏本人や周辺がかねて公言してきたことですから、吉本や松本氏が「事実無根」とすべてがなかったかのように完全否定するのは無理があると思っています。LINEも公開されたことなので、争点は同意があったかなかったか、という点になっていくのではと思っています。

以上をふまえていただいたた上で、昨今のYouTubeなどで、出演者の意見や視聴者のコメントで気になっていることがあるので、ここに書かせてください。
気になっている意見は大きく2つ。

  1. 松本氏のお笑い芸は面白いと思ったことはない。

  2. 松本氏のお笑いの特徴は、他者をおとしめたり、いじめる芸で、それが学校などに悪影響を与えた

代表的なところでいうと、ニュース系YouTube番組「ポリタスTV 報道ヨミトキTHURSDAY #137 (1/11配信)」の中で浜田敬子さんが1,2双方のご意見でした。その時のお相手の津田大介さんも「そんなに見てはいない」ということだったので、その場でダウンタウンをよく知らない、好きでもない人だけがお笑いについて語るという、我々にとってなんともむず痒いことになっていました。総じてリベラル系とダウンタウンは相性が相当悪いんじゃないかと思ってます。

まず1の方ですが、単にお笑いの好き嫌いの表出をすること自体は、その方の自由であると思います。が、それが松本氏を批判するコンテキストで使われると、お笑いと性加害を一体化して批判しているように聞こえてしまいます。このような混同は、ピエール瀧氏が逮捕された時に電気グルーヴの音楽の販売が停止された、あのキャンセルカルチャーの問題と同根ではないでしょうか。コメントなどで、「彼のお笑いは一度も面白いと思わない」のような意見を表明したがる人たちは、松本氏のお笑いがわからないことが松本氏を批判するための免罪符になるからなのでしょうか。

いやそうではない、この件に関しては彼の犯罪につながる性格とお笑いの性質が不可分とする人達が主張するのが、2の意見(だと私は認識している)です。この意見自体は歴史は古いですね。90年代なかばぐらいに既にこういう批判はあったと記憶しています。確かに、彼らのやっていたお笑いの中にはそういうものもありました。が、それはダウンタウンのすべてを表現するものではない、少なくとも私にとっては。いわゆるリアクション芸人と罰ゲームは、元々はたけしの「お笑いウルトラクイズ」あたりが本流と思っています。むしろ、罰ゲームは当初松ちゃんがよく受けていたイメージです。早朝のカラーバーになりきるみたいな。いずれにしろ、私が好きだったダウンタウンのお笑いはそっちではないんです。

私が好きだったのは、フリートークと大喜利です。フリートークは、「ガキの使いやあらへんで!」の後半で、ダウンタウンが自由にトークをするというもの。作りこまれたものでない、アドリブ。浜ちゃんが即興で反応したことに更に松ちゃんがのっていく、ジャズのコラボのような興奮がありました。後のお笑いへの影響でいうなら、実はこのアドリブ的フリートークの功罪が大きかったと私は思います。つまり、こんなアドリブ芸を成立させるには相当の才能が必要だから、こっちは本来王道ではないのに、天才である二人がたまたま成立させてしまったせいで、そっちが本流になってしまった。アメトーーク!に代表されるひな壇芸も元はここからだと。もう一つフリートークの特徴は、話のとび方がとんでもない、あまりにも突飛な斜め上のファンタジーが笑いを呼ぶというもの。私がよく聞いているニコ生の「マクガイヤーゼミ」の冒険野郎マクガイヤー氏の名前も、このガキ使のフリートークで出た名前から(もちろん、元ネタは「冒険野郎マクガイバー」)。このエピソードは秀逸だったので私も覚えています。
もう一つの大喜利は、クイズや数学が解けた時の感覚に近いといいますか、松本氏の答えは、まったく予想しない方向から来るにもかかわらず、聞いてみると、方程式のようにその解答しかありえないように思わせるんです。今でもよく覚えているネタが、「動物と物を組合せて便利なものを作る」か何かで、みんながベタなネタやダジャレに走るところ、「ねぎタイガー」「指サックワシ」という答え。別に他人をおとしめてはいないですよね。

とはいえ、他人の拒否反応を生む要素がなかったとは言えない。それは、彼が著書『遺書』で述べているように、お笑いに魂を売っていること。つまり、ルール破りの、なんでもあり、バーリトゥードのお笑い。そこにはもちろんリアクション芸もあれば、他人への攻撃もある。「いじり」もある。その中には現代の感覚ではもうNGになるようなものも当時はあった。そういうものにダウンタウンを見ている人は徐々に鳴らされていった。だからいきなり入ろうとすると拒絶反応もあったと思います。他者への攻撃は、当時彼らが非主流であったがゆえに、当時の権威に向けられたものが多かった。横山やすしだったり、笑点の作られた大喜利だったり。それが政治の権威にだけは向かなかったのは、今考えると残念です。そういえば、松ちゃんはNSC同期のマサがマッチョでボクシングやってて、おどされて怖かったような話をフリートークでしていました。当時の松ちゃんはガリガリだったのに、今や自分の方がゴリゴリマッチョになってしまって、あれはお笑いにはかなり不利な体型だと思いますが。

結論。松本氏の性加害行為に対する批判、お笑いに対する批判どちらもやっても構わないけど、一緒に語ってほしくない。それはそれ、あれはあれとしてほしい。これを言ってくれたのは聞いた限りでは古舘伊知郎さんだけです。

もう一つ。松本氏の活動休止について。我々は、90年代の「遺書」で、40歳で引退すると聞かされているので、いつでもその覚悟はできています。し、正直、大喜利についても彼はもうトップではない。また新しいこともやってくれていないので、時代がこれで終わったという感慨はありますが、個人として特に未練はありません。

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