東京オリンピック2017 都営霞ヶ丘アパート

シモキタ・エキマエ・シネマK2で鑑賞。というか都内そこでしかやってない。
下北沢駅で降りた後、場所がわからずどこにいくのか迷ってしまった。カフェみたいなところがそうみたいなので、入ったが、どこが映画館の入口か分からない。佇んでいると、親切なお兄さんが声をかけてきて「映画ですか?入口はそこですけどもう少ししたら入場です」。と教えてくれたのだが、後で舞台挨拶を観たら、その人は青山真也監督だった!気付かず失礼しました。

そんな訳で本編ですが。ドキュメンタリー監督には、積極的に対象に関わる、つまりカメラに映る人達-マイケル・ムーアとか森達也とか、大島新とか-と、まったく画面には登場しないで、黒子に徹する監督がいる。どっちがいいということではないが、この青山監督は明らかに後者。それだけでなく、この映像は地味に、丁寧にアパートの個々の住民(かなり高齢の人が多い)の日常を映していく。ネタを割ってしまうと、このアパートは2020年の東京オリンピックに向けて取り壊されることになっており、住民達はそれまでに退去を求められている。はたしてそれは正しいのか。退去し引っ越して散り散りになってしまった住民達は生きていけるのか。その答は、日々の日常の描写が雄弁に物語るようになっている。なるほど、この場合はこのメソッドが有効だ。

とはいっても、この映画にもクライマックスは存在する。引越しだ。これがなかなかひどい。二人の老婆が助けあってエアコンの室外機を外している!
片腕の老人がリヤカーに大きな荷物を載せようとしている!しかし、カメラマンをはじめ、誰も助けに行こうとしない。本来干渉すべきなのに、あえて干渉しないことは、「それは逆にやらせ」と言う人もいるかもしれない。しかし、撮影スタッフがそこにいなければ、彼らは結局自身でやらなければならいのだから、本来の姿を映しているのだと言える。

上映後、監督と、下北沢開発プロジェクトに(反対運動で)関わった人達のトークショーがあった。私も下北沢のことは、軽く知っている程度だったが、このトークショーではじめて、幅26mくらいの道路を開通させる計画があったことを知る。実は上映前に少し駅のまわりを歩いてみたが、入り組んだ細い道路など、以前のままで残っている印象だった。道路が通っていたら、その辺は見る影もなかっただろう。霞ヵ丘と下北沢は「ジェントリフィケーション」でつながっているのだというお話。

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