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YYKK

「これを社会の窓って呼び始めた人はなかなか機知に富んでいると僕は思う」ヨウスケが自分の股間のあたりをいじくる。
「え?ああ、ズボンのファスナー」ケイタは端末でゲームをしながら返事をした。「なんつーか。ここから始まる、みたいなことかね」
「確かに。生命のはじまりはここからだもんな!」嬉しそうなヨウスケ。
「シモネタかよ」返すケイタも楽しそう。
部屋のドアが開いた。女性が入ってきた。カイリだ。
「なーに話してんの」カイリが言った。メガネの奥のまぶたを微妙に動かした。
 ヨウスケとケイタは顔を見合わせた。ケイタがアゴをヨウスケに向かって刺すような動作。ヨウスケはケイタとカイリの間に視線を泳がせた。
「……先輩のズボンにもありますよね」ヨウスケが言った。
「何がよ」カイリが自分の着衣に視線を走らせた。
「……」ヨウスケは言いづまる。ケイタをチラリと見た。首を振るケイタを認めたヨウスケ。自分の口を割った。「社会の窓」
「は? あぁン?」カイリは片眉を上げた。
「いや! すんません!」ヨウスケは両手をカイリに向かって突き出し顔をそむけるポーズ。
「いや、別に怒ってねーけど。なんの話をしてんのよ」カイリが自分のズボンのファスナーを上げ下げしてみせた。
「うわっ、ちょっ! カイリさん! 駄目ですって!」ケイタが恥ずかしそうに視線を泳がせる。
「何がぁ〜?」カイリは嬉しそうだ。ファスナーの開いたズボンをさらに少し下げてみせた。下着の上端が露出する。
「見えてますって!」ケイタが動揺して言った。カイリの下着の柄がケイタの意表をついたらしい。
「見えてるんじゃなくて、見てんだろぉ?」
「ちょ、先輩。酔ってます?」ヨウスケが先ほどのカイリの片眉上げをやり返す。
「あ、バレた〜ん?」カイリがヨウスケに顔を近づけた。
「くっさ!」ヨウスケがのけぞった。
「臭いとはなんだ、臭いとは」メガネの奥の眼光でカイリはヨウスケを刺す。
「てかパンツ! パンツしまってください、カイリさん」ケイタが部屋の壁のほうに顔を向けて言った。
「パンツじゃねぇよ。アタシの戦闘服だバッキャロー……うぅっ……」カイリの語調が急に崩れた。
「何かあったんですか?」ヨウスケが訊いた。
「なんもねーし。あっても言わねー……」カイリが部屋のソファーに寝転んだ。
「うわっ。秒で寝たよこの人」ケイタが驚嘆して言った。
「着衣の乱れ……」ヨウスケが眼鏡をずり上げるふりをしながら言った。
「パンツ大公開だよ」ケイタが興味津々に見る。
「戦闘服だってよ」ヨウスケが正す。
「何と戦うんだよ」ケイタが笑って言った。
「……アタシに……隠し事なんてねー……」カイリがあいまいな発声をして体の向きを変えた。
「うわ!」ケイタが体をこわばらせた。
「寝言だよ」ヨウスケの声がケイタを落ち着かせた。「これはなんかあったな」
「ヤシロさんと?」
「え? なんでヤシロさん?」
「知らんの? 二人。付き合ってるっぽい」
「知らんし」
「てかさ、服装乱れてるこの人と俺ら、部屋にいるの……余計なトラブルの気配が……」
部屋のドアが開く気配。小麦色の顔が覗く。入ってきた体格の良い男性。
「……ヤシロさん」ケイタが情けない声で言った。
「おざっす、先輩」ヨウスケが淡白に挨拶を投げた。
「おまえらさ、なんで股間のファスナーを社会の窓っていうか知ってる?」
「えっ。奇遇。知りたいです」ヨウスケが眼鏡をずり上げるふりをして言った。
「いや、俺も知りてーんだよ。てかなんだよ奇遇って」ヤシロが自分のズボンのファスナーに落とした視線を上げてヨウスケに向けた。
「ちょうど僕も、社会の窓のこと考えてたんですよ」無垢な表情でヤシロに対峙するヨウスケ。
「考えて、どうなった?」
「生命のはじまりって感じ、するじゃないですか」ケイタが割り込んだ。
「シモネタかよ」ケイタとヨウスケが求める通りのヤシロのツッコミ。
「他に何か考えられますか」ヨウスケが追及した。
「……答えは窓に書いてあるよ」突然響いたのはカイリの声だった。
「先輩」
「カイリさん。起きたんすか」
「何おまえ、寝てたの」ヤシロの低い声が部屋の床を這う。
「YKK」カイリが続けた。
「ファスナーのメーカーですか」ヨウスケが訊く。
「ヨウスケ、ケイタ、カイリ……イニシャルY、K、K。アタシらが集まると社会になるんだよ!」威勢よくカイリが言った。そのままソファに卒倒するカイリ。
「……うわ。また寝た」ケイタが驚嘆して言った。
「入眠師範」ヨウスケが評価する。
「……オレは?」ヤシロがひもじそうに言った。
「ヤシロさん入れたらYYKKになっちゃいますよ」ヨウスケは物怖じしない。
「てめーをここで消してやる!」ヤシロがヨウスケに襲いかかった。
ヨウスケの首を両手でつかんだヤシロ。ヨウスケはすばやい身のこなしでヤシロを自分の方に引きつけると、そのまま窓の外にヤシロの巨体を放り投げた。
「見事な背負い投げ。これでYKKってわけだ」カイリが体を起こして言った。
「カイリさん。起きたんですか」
「バーカ。寝てねーし」
「社会の窓から出て行っちゃいましたね、ヤシロさん」ヨウスケが一仕事終えた顔。
「ここ、2階だっけ」ケイタが言った。
「そんなに短足じゃねーだろ。5階くらいじゃねーの?」カイリが開けっ放しの窓の外へ顔を出す。
「バカヤロウ。1階だ」カイリの顔の前にヤシロの胸板が現れた。
「あれ?ってかファスナーのメーカーってさ、YKKじゃなくて……」ヨウスケが言った。
「YYKK」どこからともなく社会の声が響いた。

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