マガジンのカバー画像

雑記集

574
雑草という名前の草はない。 雑記という名前の記事もない。
運営しているクリエイター

2018年12月の記事一覧

CAST

CAST

ビートルズにつづけというようなことでデビューしヒットした、そんなようなバンドや歌手がたくさんいたんだと思う。

パロディとみていいのか、二番煎じにしたって一煎目があまりに美味しすぎるからニ煎目でも許せてしまうと解釈していいのか、モノマネというわけでもないだろうにたいそうおもしろがられ、受け入れられつつ眉をひそめられつつ、とても社会に大きな影響をもたらした出来事の中心にビートルズがいた、というこ

もっとみる
東京都、32歳。〜都市と歳と年と年〜

東京都、32歳。〜都市と歳と年と年〜

京都と聞けば、修学旅行で行ったなぁと思い出すのが、関東地方で中・高生時代を過ごした人の多くではないだろうか。

盆地と聞けば、夏暑く、冬寒いでしょう? なんて言いたくなる。盆地であることと、夏暑く、冬寒いことの関係性を正しく説明できない者は多いだろう。そういう僕自身も、「京都は寒い(暑い)」と聞けば、「盆地ですもんねぇ」などと、自らろくに根拠も説明できない返しをしてしまう自信がある。無駄な自

もっとみる
餅と警戒

餅と警戒

年末だからといって、何が変わるというわけでもない……なんてことをいいたくなる。それでいて、やっぱり「ああ、1年が終わるなあ」なんて感慨がなくもない。結局僕も、いかに社会に包含されて生きている存在かということを実感する。年末とは、そんな時期である。

僕の年末と年始の休みは、合わせて1週間もない。なのに、このまとまった休みに、なにか特別なことが出来ちゃいそうな気がしてしまうのは、休みに入ったばか

もっとみる
死に至るまでの瞬間、ハッピーか。

死に至るまでの瞬間、ハッピーか。

じぶんが死ぬときに、ハッピーエンドだったかバッドエンドだったかなんて、どうやって決めるのでしょうか。

ほんとうにあの世にいくそのギリギリの瞬間に、「おれの人生はハッピーエンドだ」と思いさえすれば、その人の人生はハッピーエンドだということになるのでしょうか? そもそも、まさに逝こうとする瞬間に、そのような思念が頭をよぎることがあるのでしょうか?

ひとりの人について追いかけ続けたとしても

もっとみる
たとえば、それは野球かどうか。

たとえば、それは野球かどうか。

いつも、今のままじゃいけないと思っている。

どれだけ徹夜しようと、どれだけその場の食欲にまかせて顎を動かそうと、なにもなかったかのように元どおりになることが若さだとしたら、それは儚く短い間のみの特権かもしれない。

いくつになっても「若い」と言われるような人がいる。そうした人たちがみな、いくつになっても前途のような特権を持ち続けているかといえば、そんなことはない。彼らのことを「若い」と言

もっとみる
食卓の役割 〜料理は会話の「モブ」じゃねぇ〜

食卓の役割 〜料理は会話の「モブ」じゃねぇ〜

クリスマスと日本人

クリスマスイブの朝。いつも通りごはんを食べたあと、スポンジケーキに生クリームを塗りつけて、苺やブルーベリーをじぶんたちで盛り付けた。それを午前中に食べて、1日おなかが満たされっぱなしの状態で過ごした。その影響もあって、夜は、冷蔵庫の残り物をつまんで済ませた。

今年は24日が振替休日だったために、本来なら25日にやるであろう「儀式」を、ひととおり24日のうちにやってし

もっとみる
陣取り合戦 in My Body

陣取り合戦 in My Body

なるべく、じぶんのしたいようにする。そうした姿を、隠さず見せる。これが、僕がじぶんの子どもと接するときに心がけていることです。

心がけているというほどのことでもなくて、単に意識の表層付近にある、程度のことかもしれません。そうして過ごしていると、自然とじぶんの行動も、隠さずに見せられるようなおこないにフォーカスされ、シフトしていくように思います。

こうした僕と暮らした影響なのか、僕の子ど

もっとみる
無人島に持っていく一冊

無人島に持っていく一冊

もしも無人島に一冊だけ持っていって一生を過ごさなければならないのならば、実用書だとか理論書だとかでなく、詩や物語のようなものを持って行きたい。それは、とても自然なことのように思う。詩や物語に、自然のことを詠うものが多くあるからだろうか。理論書や実用書にだって、自然の摂理や真理や法則のようなものを書いたものは多くあるだろう。それなのに、やっぱり詩や物語を持っていきたいと思うのはなぜか。ひょっとしたら

もっとみる
An Aged Man

An Aged Man

こんなこと、絶対にむかしの自分にはできなかったなぁなどと思うことがある。

たとえば楽器を演奏する僕でいえば、ギターをフィンガーピッキングで弾くとか、右足一本でドラムスのバスドラムのダブルストロークを踏むとかいった芸当は、それらの楽器を演奏しはじめたばかりのときには出来なかったことだ。ギターはプラスティックのピックで弾くのがあたりまえだったし、ドラムスのキックのストロークは、シングルでしか安定

もっとみる
某の橋

某の橋

登場人物が、橋の上を疾走するシーンをドラマか何かで見たことがある。なんの作品だったかと言われると、自信を持ってタイトルを挙げることができない。それくらい、ありふれていてよく描かれがちなカットなのかもしれない。

橋があるということは、そこに水場があるということである。例外もあるかもしれないけれど、たいていそのような地形は、水の存在が起因となって、多かれ少なかれなんらかの影響をもたらして形成され

もっとみる
時候のあいさつ(モノローグ編)

時候のあいさつ(モノローグ編)

寒いのより暑い方がいい。夏は冷房もつけずに部屋に引きこもってドラムを叩いている。そんな僕である。

多少、暑くても死なないと思う。汗をかきすぎて、脱水症状になったら危険かもしれない。砂漠のど真ん中になんの装備もなしに放り出されたら、生きて帰れる自信はない。やっぱり、暑すぎるのもそれはそれで危険かもしれない。そう思い直す。でも、やっぱり僕は、寒いのよりは暑いほうがいい。

暑いと、妙にやる気

もっとみる
小さきものの詩 〜雑居ビルの一室に、道端の草木の蔭に〜

小さきものの詩 〜雑居ビルの一室に、道端の草木の蔭に〜

古典をよく知らない。何が古典の定義なのかもよく知らない。だけど、長い時間が経っても残っているものの価値は、なんとなく認めている。残そうとした意思によるものなのか、結果的に残っただけなのか、たぶんその両方なのだろうけど。

歌には、かたちがある。たとえば平歌があってサビがあって、というような形式を感じ取って、人はなんとなくポップだとか歌謡曲だとかを意識する。それらの歌の中に描かれるものたちもまた

もっとみる
1000字中の「残り氏」

1000字中の「残り氏」

「良いお年を……かもですね」

昨日私は、職場で会ったある人たちに、そう声をかけてその場を辞去した。

その年が終わるという区切りに、どれだけの意味があるのか。ずっと途切れることなく、続いているのに。一連のものなのに。

終わりがない。

あるのかもしれないけど、見えていない。

見えていないことには、あとどれくらいの「残り」があるのか、わからない。

わかろうとすればわか

もっとみる