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2018年5月の記事一覧
逃げおくれた鯉のぼり
身のまわりの環境に、ふと、劇的な変化が欲しくなる。いろいろあったようでなかったかもしれない5月も、終わろうとしている。
どこか新しい環境に自分を移したい衝動を感じながらも、一方で、「この場所」を劇的に変えられないのであれば、どこに行っても同じである…という風にも思う。結局、どこに行っても場所そのものが重要なのではない…というのが、今のところの僕が信じていることでもある。
やさしさは、自
「ムダ省エネメソッド」をぶち壊せ!
「からだ」がテーマの、あるワークショップを受けました。からだの緊張やクセを知り、それを取捨選択できるようになることにつながるという、そんなワークショップでした。
僕らは、立つ、座る、仰向けになる、といった日常的な動作をおこない、教えてくれる人は、手や言葉を使ってこちらのからだにはたらきかけ、からだの運動の方向を示したり、楽な姿勢に気づくための指導をしてくれます。緊張やクセ、「力み」といったも
ピザピザピザピザピザピザピザピザピザピザ
いかに僕らが、拾いたいものを拾っているかということを思います。身のまわりに存在しているものをフェアに拾うなんてことはないのです。
厳密には入力はされているのでしょうけれど、その信号をそのまま受け流したり、あるいは独自の機構でカットしたりフィルターをかけたりして、「認知」の表層にあがるものというのはごくわずかです。その「機構」こそが、個々の性格とかクセ、すなわち個性みたいなものなのかもしれませ
連れられてるのは、僕の方?
犬を飼っている人が、裕福そうに見えることがあります。そういう人の傍にいる犬は、服を着ていたり、そうでなかったりします。特別裕福そうには見えないけれど、犬と一緒にはきはきと歩いていて、健康そうに見える人も多いです。
誰かの面倒をみるとなると、自分のことに手を焼く時間は少なくなるのかもしれません。それだけ、面倒をみる対象がいなかったときと比べて、自分のために使う時間を差し出さなければなりません。
なんともめでたい馬鹿ばかり
傷口を洗ったり、消毒したりするのは間違いだというのをどこかで聞いたことがあります。本当でしょうか。それまで信じられていたことが実は間違いで、まったく逆のことが信じられ始めるなんてことはそう珍しいことではないようです。
かつては「天」が動いていると信じられていたと聞きます。自分たちの足元の大地が実は「球」であるということも知らず、空の星々のほうが勝手に動いていたと認識していたんでしょうか。僕は
「玉の輿」は性別を問うのか
納豆が好きだといったら、それが嫌いな人はその匂いを思い出して、そんな話は聞きたくもないと思うかもしれない。爬虫類とか昆虫が好きだという人がいるけれど、それらが嫌いで、想像するだけでぞっとするという人もいるかもしれない。
これは聞いた話だけれど、ある話し合いの席で、「玉の輿」という言葉を含んだ文芸作品について、その作品が男女平等の観点で差別的表現にあたるのではないかという意見が出されたらしい。
人生は、OK。〜たかを、くくろうか〜
1月の中頃だったと思います。「谷川俊太郎展」に足を運んだときのことでした。四方の壁をモニターディスプレイとスピーカーに囲まれ、その環境を利用した独特な「詩の朗読」の展示を体験したあとに待ち構えていた、いちばんメインとなる展示スペースに入っていったときのことです。
何やら、哀しみとも悼みともとれるような、ブルージーな歌声が聴こえてきます。声の震えがそのまま聴くものの心を震わせてくるような歌声で
「専門性」と「しろうと性」
しろうとと専門家の境目があいまいになった。いや、そもそも、自然と「あいまいになるもの」なのかもしれない。多くの人が「あるもの」に取り組むようになると、自然とそのことに関する情報を共有するネットワークが築かれる。(インターネットが登場して、その傾向はより増したに違いない。)つまりは、そのことに関する専門性の高い情報がより多くの人に共有されるようになり、結果として「しろうと」と専門家の境目はあいまいに
もっとみる飛べない、ペンギン。眠れる、僕。
「積極的退化」なんてことがありそうですね。いまの環境や現状に適応するために、これまでできた何かをしなくなり、自分自身のすがた・かたちが、そのようになっていく、という…。
ペンギンは、飛びません。彼らの祖先は、飛んだんでしょうか?そのへんは僕にはわかりません。空を飛ばない彼らですが、泳ぎが得意でしょう。飛べるようになることをひとまず進化と呼べば、飛べなくなることは退化といえます。その結果、泳げ