『用兵思想史入門』田村尚也著、作品社、2016

はじめに

本書では「用兵思想」という言葉を「兵の用い方に関する思想」、すなわち戦争のやり方や軍 隊の使い方に関するさまざまな概念の総称として使っている。

その用兵思想の実例をいくつか挙げてみよう。

おおざっぱに言うと、現代の用兵思想では、戦争全体を、マクロな「戦略次元」、ミクロな 「戦術次元」、それらの中間の「作戦次元」という三つの階層(レベル)に分けて捉えるのが一般的になっている。これが「戦争の階層構造(英語でレベルズ・オブ・ウォー)」という概念だ。

そして、この三つの階層のうち、「戦略次元」における術策を「戦略」、「戦術次元」における術策を「戦術」、それらの中間の「作戦次元」における術策を「作戦術」と呼ぶ(細かいことをい うと、ミクロな「戦術」とマクロな「戦略」を結びつける役割を果たすのが「作戦術」であり、その意味で「戦略次元」や「戦術次元」を、中間の「作戦次元」と一部重ね合わせて表現することもある)(図1参照)。

【戦争の階層構造】 戦争は三つの階層から成り立っている。この階層は、 戦争の形態により上下に伸び縮みする。 戦術行動であっても戦略に大きな影響を及ぼすような戦い (例えば ゲリラ戦) では階層構造は圧縮される (戦術・作戦・ 戦略が極度に近づく) アメリカ海兵隊 MCDP-1 「WARFIGHTING」より作成

また、現代の用兵思想では、ある軍隊の装備や編制、教育や訓練、指揮官の思考や意思決定の 枠組み、指揮のあり方などの土台となる、軍の中央で認可されて軍内で広く共有化された、軍事行動の指針となる根本的な原則を、一般に「ドクトリン」と呼ぶ。ここでいう「ドクトリン」とは、いわゆる「吉田ドクトリン」や 「トルーマン・ドクトリン」のような 政治や外交に関するドクトリンではな く、軍事や戦闘に関するドクトリンのことであり、あえて言えば「ミリタ リー・ドクトリン」や「バトル・ドクトリン」を指している。例えば、一九八〇年代にアメリカ陸軍が導入した 「エアランド・バトル」は、現在の日 本でもっとも知られているドクトリンの一つであろう。

さらに大きな話をすれば、もっとも著名な用兵思想家であるカール・フォ ン・クラウゼヴィッツは、戦争の構成要素として、憎悪や敵意などの激情を ともなう暴力行為という面、蓋然性と偶然が交錯する自由な精神活動という面、政治に従属する一手段という面の三つを挙げている。このようにクラウゼヴィッツは「戦争とは何か」について根源的な考察を行っており、現代の用兵思想にも驚くほど大きな影響を与えている。

当たり前の話だが、こうした用兵思想は、社会の変化や技術の進歩などとともに発展してきたものであり、その過程を知らずに個々の用兵思想の意味を深く理解することはむずかしい。例えば、十九世紀にプロイセン軍で本格的に導入された「委任戦術」や、第二次世界大戦の緒戦でド イツ軍が展開した「電撃戦」、それに第二次大戦前のソ連軍で初めて明確に定義された「作戦術」 などの用兵思想を理解すること無しに、「エアランド・バトル」というドクトリンを深く理解す ることはできないし、「エアランド・バトル」への理解無しに、一九九一年に湾岸戦争でアメリ カ軍を中心とする多国籍軍が実施した「デザート・ストーム」作戦をきちんと分析することはできないのだ。さらに言えば、今後になにか新しい用兵思想やドクトリンが出現した時、過去の用兵思想やドクトリンを知らなければ、どこがどう新しいのかを認識することができないし、その 価値を推し量ることもできないだろう。

そこで本書では、現代の用兵思想を理解するために、この程度は知っておく必要があるだろう、 と思われる基礎的な事柄を中心に述べていくことにした。そのため、現在の主流といえる欧米の 兵思想とのつながりが比較的薄いと思われる中国などの用兵思想にはあまり触れないが、ご了承いただきたい。

具体的には、各章でおおむね次のような事柄を述べている。

  • 第1章、古代オリエント世界やギリシア世界における戦闘隊形の発展について。

  • 第2章、ローマやビザンツ帝国における兵制の変化や用兵思想の発展について。

  • 第3章 中世の西欧における兵制の変化や用兵思想の発展について。

  • 第4章、ナポレオン戦争の頃を中心とする用兵思想の発展について。

  • 第5章、ドイツ統一戦争の頃のプロイセン参謀本部を中心とする用兵思想の発展について。

  • 第6章、大航海時代の頃からの海洋に関する用兵思想の発展について。

  • 第7章、おもに第一次世界大戦の地上戦に関する比較的マクロな用兵思想の変遷について。

  • 第8章、おもに第一次世界大戦の地上戦に関する比較的ミクロな用兵思想の発展について。

  • 第9章、第一次世界大戦前から第二次世界大戦頃までの航空用兵思想の発展について。

  • 第10章、第一次世界大戦中から第二次世界大戦頃までの機甲用兵思想の発展について。

  • 第11章、日露戦争からソ連崩壊までのロシア軍およびソ連軍(赤軍)の用兵思想の発展につい。

  • 第12章、第二次世界大戦後から現代までのアメリカ陸軍やアメリカ海兵隊の用兵思想の発展について。

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