『福祉国家と平等 : 公共支出の構造的・イデオロギー的起源』ハロルド・L・ウィレンスキー著、1975


感想

全体

  • 1段落が長すぎる…

  • 番号付き箇条書きを使い過ぎで、重要度の順番付けが分からない…

日本語版への序文

全体的に日本の情報に通じてないように感じる。日本なんかは非西欧国で非常に興味深い事例だと思うのだが…

日本は遅れて産業化への道をたどったがゆえに、つい最近まで老人層の多くは農業や商店経営に従事していたことがわかる。つまり、福祉国家への道に遅れてスタートしたために、福祉プログラムは未成熟の状態にある。例えば、日本の被用者年金は、一九六〇年代の初頭になってようやく、標準年金(regular pensions)の支給を開始している。また、国民年金に至っては、一九八〇年代の中葉にならなければ標準年金を受給するものがいないというのが現状である。このことは、年金制度を早い時期に確立した二大福祉支出国、スウェーデンとドイツの場合と比べてまことに対照的である。両国はそれぞれ、一九一三年と一八八九年にその年金制度を発足させている。

pp. 5-6

確かに日本の産業化はドイツ・スウェーデンに比べたら遅いが、年金制度の開始のように50年かそれ以上離れていることはない。


日本はおそらく、その急速な成長率からみて、高い職業・教育移動率をもつ国々のひとつに分類されよう。そして、そうした移動率が高いことが、老人、障害者、働いていない貧困層への公共支出に対する抵抗を呼び起こしていると考えることができる

p.7

日本の場合は、従来は親との同居が多かったが、戦後の都市部への人口移動で核家族化が進んだ。その結果、地方に取り残された高齢者のための福祉が進んだという側面がある。


またそれは強力な労働者階級の出現と彼らの連帯をはばみ、寛大で広範な福祉政策を求める大衆の要求を押し止めている。

p. 7

日本では美濃部都政のように、地方自治体の福祉拡大と、それが国政に影響することを恐れた自民党が福祉を拡大してきたという事情がある。

一九五〇年代、社会主義政党の頭に直面した自由民主党は、かつてのビスマルクを想起させるような方法で、教育・労働・福祉政策をはじめとするいくつかの社会主義的提案を行なっている。一九五八年の国民健康保険法および一九五九年の国民年金法は、農民と貧困層に対して強制的健康保険と年金を提供するものであった。また、一九六三年の老人福祉法では、老人クラブ、老人ホーム、無料健康診断、施設や在宅の寝たきり老人への介護といった数多くの小規模プログラムが包括されている。さらに、一九七三年、老人医療の無料化が法律で制定された。そして、社会支出はこのところ上昇をみせている。

p. 10

知ってんじゃん…「寛大で広範な福祉政策」って高齢者以外の政策のことを言っているのだろうか?


新古典派の経済学者は、ここ数十年間、職業の確保、社会保障、平等、参加民主主義と、経済成長、労働生産性、資本投資との間に鋭いトレードオフの関係があることをわれわれに教えてきた。しかしながら、一九五〇年から一九七四年までにわたって、私がとりあげた一九の先進民主国家の経済パーフォーマンスと社会支出との関係を比較してみると、これらのトレードオフはさほど強いものではないことがわかる。

p. 13

定番の問題、逆の因果性、つまり、経済が良いから社会政策に支出できたという視点が欠落。


日本は少なくともスウェーデン、西ドイツといった福祉先進国と共通する何かをもっている。これの三ヶ国はすべて公共政策の刷新者であるという点で共通している。また、輸出と海外からのエネルギー供給にもっぱら依存している国々でもある。さらに、他の先進民主国家と比べて、良好な経済パーフォーマンスをこれまで達成してきたことでも共通する。おそらく、これらの三ヶ国は、それぞその社会的創造力と政治的才能を遺憾なく発揮することで、今日の財政危機を乗りこえていくであよう。と同時に、政治的自由、経済成長、社会的合意、家族の安全と両立する社会政策を発展させ、今後も、機会の平等と結果の平等とのバランスをうまく保っていくにちがいない。

p. 14

大ハズレ(笑)。まあ、「今日の」だけに限定すれば間違いではないのかもしれないが…


第1章 研究課題としての福祉国家、第一節 教育は特殊である

高等教育に対する公共支出には、その起源と影響いずれにおいても、他の福祉政策とは異なる性格がみられる。本書で選んだ二二の先進国の場合、社会保障支出と教育の間に小さな負の相関関係が発見できるのではないか、と期待した。そして、その結果は、こうした期待と一致するものであった。(データが欠けている東ドイツを除く)二一国をみると、①最も入手しやすい一九六六年の社会保障支出と②教育資源の配分を知る上で最も信頼がおけ、かつ比較可能な指標である二〇歳から二四歳までの人口に対する高等教育就学率(一九六五)との間には、マイナス〇・四一の相関関係が存在している

pp. 41-42

データが古い。高等教育就学率が

  • オーストラリア16%(2010年大学進学率は96%, OCED。以下同様)

  • ポルトガル5%(89%)

  • ポーランド13%(80%)

  • ニュージーランド14%(80%)

  • ノルウェー8%(76%)

  • スウェーデン12%(76%)

  • アメリカ40%(74%、2年生の大学を含む)

  • フィンランド11%(68%)

  • オランダ16%(65%)

  • デンマーク13%(65%)

  • オーストリア9%(63%)

  • イギリス10%(63%)

  • イスラエル20%(60%)

  • アイルランド12%(58%)

  • ハンガリー12%(54%)

  • スペイン6%(52%)

  • 日本12%(51%)

  • イタリア12%(49%)

  • スイス6%(44%)

  • トルコ4%(40%)

  • ベルギー15%(33%)

  • メキシコ4%(33%)

  • ルクセンブルク3%(28%)

これを見ても分かるように、本書のデータでは高等教育就学率が全般的に低く、アメリカの40%にかなり引っ張られている可能性が高い。


第1章 研究課題としての福祉国家、第三節 制度の経過年数と人口の年齢構成

これまでの研究では、総社会保障支出の決定要因として、人口の年齢構成は一般に制度の経過年数より説明力が弱いとされている。アーロン(一九六七、三二貢、一九六八、一四七頁)とプライヤー(一五〇、一七二、一八〇頁)によれば、同一の回帰方程式の中に制度の経過年数を含めた場合、人口の年齢構成がもつ統計的有意性は失われる。しかしながら、彼らの使用したサンブルより多くのサンブルを使い、新しいデータを使用したわれわれの結果からは、総社会保障支出(GNP対比)を説明する上で、人口の年齢構成がきわめて高い説明力をもっていることがわかる(図1、六六頁参照)。さらに、ある特定のプログラムの発展を分析するには、年齢をコントロールしておくことが重要であるのかもしれない。例えば、中等教育や家族手当ないしは児童手当を考える上で、(一五歳以下の)若者の比率は重要である。また、高等教育を考える上では、二〇歳から二四歳までの人口比率が大きな意味をもとう。年金に関していえば、(六五歳以上の)老人の比率が決定的意味をもっている。健康保険の場合、年齢構成がおよぼす影響は曖昧であるが(これらのプログラムが老人だけに限定されているのは合衆国だけである)、老人はどこの国でも若者以上に保健サービスと保険給付の厄介になっているといえるかもしれない。

p. 49

そりゃ、年齢構成が一番重要なのは当たり前やろ。


2章 2節

現代社会が収斂しつつあることを示す格好の証拠は、政治体制のちがいが公共消費支出の主たる構成要素を予測する上で弱い力しかもたず、また経済体制のちがいも無関係であることを示すデータの中にはっきりと現われている

p, 62

興味深い結果。ただ、長期的にこれが維持されるか。


この六〇ヶ国のサンプルに関して、経済水準とそれによって惹き起こされる人口学的・官僚主義的影響が社会保障支出を説明する上で重要であるという事実は、収斂化仮説を支持するものであるといえよう。言い換えれば、経済成長によって、文化的・政治的伝統の異なる国々でさえ、その最低生活保障の戦略では似通った姿をとらざるをえないということである。

p. 71

なるほど…


2章 3節

最後に、福祉国家が比較的広範な支持を受けている国々においても、成功イデオロギーは登場している。あるトピックスをめぐって二ヶ国以上を比較している体系的でかつ信頼できる調査は非常に少ない。いわんや、こうしたイデオロギー的テーマを視野に入れた調査は皆無に近いといえよう。しかしながら、われわれは、カトーナ=ストランペル=ツァーン([Katona, Strumpel, and Zahn]、一九七一)らが行なったオランダ、イギリス、ドイツ、合衆国におけるアスピレーションと消費者行動に関する一九六八年の調査から、若干の間接的手がかりを得ることができる。これは国際比較調査としては最良の部類に入るもののひとつではあるが、社会移動の方向づけと労働、消費の願望を決定づける要因として、年齢、教育、所得がひとまとめに取り扱われている点で多少の難点がある。だが、そのデータから一般にいえることは、若者、知識人といったヨーロッパの前衛的な人口 (vanguard populations)が、老人に比べて、合衆国でみられるような楽天主義を抱きやすいという事実である。また多少強引な推論ではあるが、彼らは成功イデオロギーにも強い執着をみせている。地位が確立されてしまっている老人と比較して、彼らは将来の所得と暮らし向き(well-being)について楽観的であり、働くことにもより熱心でより多くのものを買い、多くの贅沢品を将来購入する計画をもっている熱狂的な消費者であることがわかる(六五頁以下、七二、二三四頁)(6)。要するに彼らは、私が一九六〇年におけアメリカ人の調査で明らかにした「幸福で善良な消費者・市民」と瓜二つである(ウィレンスキー、一九六四、一九五~一九六頁)。

pp. 79-80

pardon?

いや、そりゃ世界のトレンドが変わったとかじゃなくて、単に若い人が野心的とかそういうことやろ。アホか。

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