『最貧困シングルマザー』鈴木大介著、朝日新聞出版、2015


プロローグ

2009年ほどメディア上でシングルマザーの経済的窮状が報じられたことはなかったように思う。4月に自公政権下で廃止された生活保護の「母子加算」。これを復活させるかの論議に加え、緊急経済支援であった「子育て応援特別手当」の執行停止も論議を呼んだ(母子加算は09年12月に復活)。だがそんなニュースを、僕は寒々とした思いで聞いていた。

僕の前著は、親元や児童養護施設などを長期間にわたって飛び出し、生き抜くために売春を続ける家出少女たちを追った『家のない少女たち』(宝島社)というルポルタージュだ。圧倒的な不遇のなかでも少女らは驚くほどたくましく境遇に立ち向かい、その姿は感動的ですらあった。が、彼女らの背景には必ずといっていいほど、

  • 親の虐待、

  • 過度のネグレクト(育児放棄)、

  • 絶望的とも思えるほどの貧困、そしてなにより

  • 「母子家庭」

というキーワードがあった。

ボロボロに傷つきながらも路上に生き抜く少女らを真正面から見てしまった僕の心に、「産む母の資格論」がめばえたのは自然なことだと思う。母と子の二者のみという逃げ場のない母子家庭の現場で、母親から虐待を受け、成長期に満足に食べ物さえ与えられず、背丈の伸びすら止まってしまった少女がいた。圧倒的貧困による、地元社会との断絶と、残酷な差別。血を吐くような虐待のエピソード。これが日本の現実なのかという絶望感と無力感とともに、

「なぜ産んだ! 育てられないなら、産むな!」

そんな言葉が何度も喉元にせり上がった。

だが少女らの取材を通じて、いくつかの事実にも気づいていた。

まず、少女らが「売春のツール」として使用する出会い系サイトに、「少女らの母親世代」(30代から40代前半)の女性が非常に多数アクセスしているということ。そしてこうした出会い系サイトのハードユーザーである買春男たちからは、その年代の利用者の多くが子どもを抱えたシングルマザーだと聞き及んでいたのだ。

直視するには、あまりにも受け入れづらい事実だった。子どもを育てられない母親。子どもを殴り育児放棄する母親。売春をする母親・・・・・・。あくまで児童福祉の観点から状況を見ていた僕にとって、資格なき(ように見える)母親たちは「敵」ですらあった。

だがもう一点の疑問もあった。こうした母子家庭の貧困なるものが、そのまま子どもの貧困なのではないか、ということだ。貧困に陥らなければ、まともに働いて収入さえあれば、子どもを棄てず叩かなくてもすんだという母親は、相当数いただろう。貧困家庭について「貧困の世代間連鎖」という言葉がある。生活保護を受ける母子世帯の4割が、その母親の育った家庭も生活保護を受けていたというデータもあるのだ(大阪府堺市健康福祉局の道中隆理事が07年に行なった実態調査による)。だからこそ僕は前著のあとがきにて、まず最優先すべきは母子世帯の貧困救済や就業支援だと訴えた。

だが僕はいったい、母子家庭、そもそも「母親という生き物」について、なにを知っていたというのだろう。

08年末、空前の不況に「ネットカフェ難民」「年越し派遣村」といった言葉が飛び交うなか開始した「出会い系における、売春するシングルマザーの調査」というフィールドワーク。「週刊朝日」に掲載する記事のための調査は、しょっぱなから想定外の連続だった。確信はあったが、「これほどまでとは・・・・・・」というのが、率直な感想だった。鳴り止まぬメールに、携帯電話の電池がみるみる減っていき、慌てて充電器にさし込んだ。

取材の入り口は、当時最大手といわれた(改正出会い系サイト規制法を受けた各業者の対策により、69年2月以降、趨勢は若干変化している)三つの出会い系サイトだ。ここに書き込まれた20代後半から30代の女性による「売春相手募集」のメッセージをピックアップし、最終的に100件ほどのメールを送信するというきわめて単純な方法を取った。

――売春をするシングルマザーというテーマで取材対象を求めています――

もちろんサイト上に書かれた女性のプロフィールに、シングルマザーであることなど触れられてはいない。「およそ、その年齢であれば、シングルマザーの可能性が高いのではないか」という程度の、かまかけの取材依頼送信だった。

だが結果、実質初回の返信率は5割以上であり、鳴り止まぬメールという事態になった。通常、この手のアバウトな取材対象者探しは、初回返信が1割以下、最終的に100件あたって1件まともな取材が取れたらラッキーだなという程度。それが5割だ。そのすべてと何通かのメッセージのやり取りをするうちに、サクラ行為(出会い系サイト運営業者に雇われているバイト)や、女性を装った風俗業者からの連絡は来なくなる。出会い系サイトに料金を支払う有料ポイントを使ってのメッセージから、携帯電話のメールアドレスや通話を使ってのアクセスに移行できた対象者が、15名だった。その後に増減あって、二十余名。この女性たちへの聞き取りが本書の核である。

それにしても......

およそ10カ月続けた取材で、僕は何度も言葉を失った。なんという、圧倒的な貧困だろうか!! たしかに、当初から取材の端緒には「売春をするシングルマザーとそが、日本の貧困の最底辺ではないか」という推論がありはした。売春をしなければ生きていけない大人の女性、しかも母親というのは、なににも増してわかりやすい底辺の群像だ。だが彼女らが抱える貧困とは、決して金銭にかかわる貧困だけではなかったのだ。

精神も、環境も、体力も知力も、なにもかもを喪失した、言語に絶するような「持たざる者」。彼女らの手のなかにあるものは、わが子の小さな手だけだった。その悲鳴と慟哭が響きわたる世界だった。

離婚、そして貧困。人生の負のスパイラルのなか、自らに母親としての資格がないのではないかという思いは、彼女ら誰もの心を苛んでいた。それでも子どもが愛しい。手放したくない。そんな母の気持ちを知り、喉元まで出かかった「自己責任論」をのみ込んだ。

なぜそこまで堕ちてしまったのか。なぜそこからはい上がれないのか。おそらくその疑問は、母子世帯の貧困、子どもの貧困や格差という、日本がいま直面している大問題をひもとく糸口となる。とかく「自己責任論」の標的になりがちな母子世帯の貧困論。あなたたちは自己選択で子どもを産み、自己選択でシングルマザーとなったのだろうという大上段からの主張は、彼女らの実態を知れば空しく失速する。自分たちも、一歩間違えればそこに堕ちていても不思議ではなかったと思う母親たちもいるかもしれない。

本書を社会学的な、第三者視点のルポルタージュにしたくないと、強く願う。本書をあらゆる子どもをもつ母親に読んでほしいと思う。底辺でもがく「売春をするシングルマザー」たちの悲鳴は、あらゆる母親の、産み育て、苦しむ魂への肯定だ。折れてもいい。へこたれてもいい。その手を握った、子どもの手を離すことがなければ。あなたたちが苦しいのは、本来あなたたちを守るべき社会が機能していないせいなのだから。

ここから先は

85,255字

¥ 100

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?