「社会学・人文科系の学問は方法論として科学として成立しているのか」

◆政治学・社会学について

まず、人文学系は自分は知識が不十分なのですが、社会学・政治学についてはある程度研究しています。その結論から言うと、『社会科学のリサーチ・デザイン』や『社会科学の方法論争』の論争から見られるように、学問の生誕から100年経ってもなお方法論で争っている学問に将来があるとは思えません。これは、定番の教科書がないという意味で、教育においても非常に深刻な問題になっています。

方法論だけではなく、例えば基本概念である「階級」の定義も未だになされていません。さらに、未だにパイオニアのマルクスやウェーバーを引っ張ってこなければいけないことも惨憺たる状況です。自然科学は元より、経済学でもアダム・スミスはもちろん、サミュエルソンを引用する人はいません。

これはのちに述べる学問の評価になりますが、税金を使ってやっている以上、納税者としてはとても満足できるものではありません。社会的価値があるかどうかは別にして、それはあくまで大学という枠組みの外で趣味でやってもらいたい所です。


◆人文学について

・頻度の少ない現象について

私は現在、なぜ1800年頃にイギリスで産業革命が起きたか、という研究をしています。これは歴史上唯一の現象です。他国の産業発展はイギリスとの関係抜きではありえないので、唯一と言って良いと思います。

そして私は、これについて現実を説明できる数理モデルを構築しています。もちろん、これが正しいかどうかは今後の学会の検証を待たなければなりませんが、少なくとも「数理的」で「客観的な検証」が可能なものに仕上がっています。

私の研究と人文学の研究の何が違うかというと、人文学の研究が頻度の少ない事象について事例を羅列するだけなのと、学問としての理論と実証の積み上げがないからだと思われます。私のモデルは、基本ベースは従来の研究で用いられたモデル・関数系・パラメータ等々を用いています。これは、従来の研究の蓄積があればこそです。だからこそ、検証する側もこうした部分についてそこまで深く考える必要はなく、検証しやすいものに仕上がっています。

これに対して、あくまでイメージですが、人文学では0から頻度の少ない事象について正面突破をしている印象です。これでは、1つ1つの仮定の吟味等々大変ですし、検証は現実的に不可能でしょう。言いっぱなしになってしまうと思われます。

まとめると、頻度の少ない事象を分析するためにも、頻度の多い事象を分析する数理的なモデルとデータによる検証が必要だと考えます。


・社会的意義

確かに、「良さ」の定義は非常に難しい問題だと思います。ただ、それは「総合」的な知とかではなくて、単純に科学哲学の問題だと思います。私は科学哲学は重要だと考えています。

ただ、それは人文学一般の存在を肯定する理由にはなりえないと思います。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?