僕と神聖かまってちゃん
僕は神聖かまってちゃんが好きだ。
荒々しい演奏に見えがちだが、心を惹きつけるメロディや「人が一生で言うよりも多い『死ね』という歌詞」の隙間から垣間見える優しさがあったり…。
特にの子が作る曲調は聴く人の心を掴むとずっと思っている。
どうしても異端なバンドに思われがちではあるけど、天才的なメロディーメーカーなはずである。
特に「23才の夏休み」は典型だが、その曲によって僕は引き込まれた。
ー僕が高校1年生の夏ー
小学生から続けていた野球を続けたくて、野球の環境だけで選んだ高校。
それなりの覚悟はしてたはずなのに、16才の僕にとって毎日がキツかった。
「もう野球をやめたい」と思っても、何もそれ以外にできない僕はやめる勇気もない。
しかも朝は6時に学校に着き朝練、昼休みもグラウンド整備、放課後は夜まで練習。
野球に重きを置いた高校生活は野球が楽しくない時点で何も楽しくない。
「野球をやめたい」から「学校を辞めたい」になっていた。
でも何も決断できない僕は、眠い目をこすり朝練に行き、「周りに合わせる」ことで生きていた。
そんな時になかなか眠れず夜更かしした時のテレビで観たのが「地上波生放送初登場」の神聖かまってちゃんだった。
メジャーデビューしたてな彼らは「友達を殺してまで」というアルバムから「23才の夏休み」を披露するために出演していた。
はずだった
の子以外の3人はちゃんと演奏をしていた。
しかしの子は大暴れ。なるとをカメラに貼り付けたり、ひたすら「死して屍」と叫んだり。
正直、「音楽」としては見るに耐えないものだった。
が、当時野球しかやってなかった僕には「ライブ」として神聖かまってちゃんが輝いて見えた。いわゆる無い物ねだりというものかもしれない。
「せっかくの地上波」という大事な時に「いつも通り演る」という決断をした彼らを観た。
そしてその後「放送事故」と叩かれる彼らも観た。
でも神聖かまってちゃんの音楽を知り、僕は明らかに変わった。
どうせ一度しかない人生、本当にやりたかったことをやればいい。
あれだけ辞めたかった野球も、どうせ高校3年で辞めるんだからやれるだけやってみればいい。
そう思えた僕は不思議と野球を続けることができた。
結果こそでなかった。けど、あの時に続けるという決断をしたことが高校生活で得た財産だったと思う。
そんな出会いから大人になった
大学生の夏、僕は神聖かまってちゃんのライブに行くことを決意した。
CDも持っている。曲も聴いていた。
けど、高校生の僕は「ライブハウス」に行ったことがなかった。行く時間もなかった。
でも大学生になり、ライブハウスにも足を踏み入れた僕は、今なら神聖かまってちゃんを生で観ることができると思った。
ドキドキで観た22才の僕は、この曲に完全に心を持っていかれた。
数ある曲の中から僕がトップクラスに好きな曲「肉魔法」の歌詞である。
ギターから入る攻撃的で特徴的なイントロ、そしてこの歌詞。
僕が神聖かまってちゃんに抱いていた気持ちをそのまま曲に乗せられたような気分になった。
思わず涙がでてしまった。
「神聖かまってちゃんで泣くなんて」と言われたこともある。
でも彼らの音楽は間違いなく心に寄り添ってくれた。
そんなライブを体験し、生で見れなかった6年間を埋めるように神聖かまってちゃんへ、のめり込んでいった。
夏休み
当時16才だった僕は23才になった。
そう、あの23才の夏休みと同じ年だ。
そんな年に神聖かまってちゃんは「33才の夏休み」をリリースした。
当時26才だった彼らも33才。もうバンドマンとしても若手とは言えない年になっていた。
そんな年に出したこの曲は僕の心臓のど真ん中を突き刺した。
23才の夏休みのメロディーを活かした曲調、デビュー10年を連想させるMV、何から何まで心に刺さって離れなかった。
僕は「野球を続ける」という決断をした。
そして「ライブハウスに足を踏み入れる」勇気を持った。その結果沢山の出会いがあった。
でも、神聖かまってちゃんに出会ってなければきっと、「あの未来を避けた」自分になっていたはず。
神聖かまってちゃんを聴いてきた7年の僕とリンクしていた。
そして
まだこれからも、嬉しいこと悲しいことはたくさんある。
でも神聖かまってちゃんとなら乗り越えられるそんな気がした。
リリースから2年経ったいまでも同じことを思う。
今でもMVを見れば涙が溢れるし、神聖かまってちゃんに出会えてよかったと過去の自分に感謝する。
これはずっと変わらないだろう。
最後に
34才になった神聖かまってちゃん。
Ba.ちばぎんが2020年1月をもって脱退する。
この発表をされてからもう何ヶ月も経ったから今では少し受け入れられている。
でも当時、頭が真っ白になった。信じられなかった。
結婚し、子供ができた。とてもおめでたいことだと心から思う。
でも「養っていくから脱退する」という選択肢があると思っていなかった。
メジャーレーベルで活躍しているバンドが「音楽で食っていけない」という現実を知らなかったから。
大切なものが増え、守っていく勇気を持った彼に「寂しい」とか「やめないで」とは直接言えなかった。
16才の僕を救ってくれた神聖かまってちゃん、メンバーが抜けても彼らのロックンロールは鳴り止まない。
それで十分じゃないか。
でもやっぱり寂しい。