見出し画像

銀剣草の聖なる癒し

夏至の日に大きな執着を手放し、その後ろにずっと隠れていた自分を解き放った。これについては書いた。

それから数日後に、ハワイ島で一番高い山であるマウナケアに用事があって行った。その時に世界でもハワイ島、マウイ島とヒマラヤにしか生息していない銀剣草 (Silversword, Ahinahina) という植物の花と初めて出会った。高度2800mの乾燥した土地に咲いている。この植物は40年も生きるものもあり、一生の最後に一度だけ花を咲かせる。

画像2

この時の出会いは衝撃的で、私はその姿に見とれてドキドキそわそわしてしまった。私の背の高さに近いぐらいの大きさで、どう見ても私と話をしたがっている。その時はゆっくりとこの花と過ごす時間がなかったので、近いうちにもう一度お邪魔します、と挨拶だけして去った。

その2日後にこの花に会いに行くためにもう一度マウナケアに行った。幸いにこのパンデミックで、人はいない。二人だけの世界だ。

まずは大きな花の前にひざまずいて、今日はお話しをしに来ました、と伝える。最初この植物は私と同じXジェンダー系かと思ったりしていた。花が咲いていない時は、パイナップルの頭のツンツンしたところを銀色にしてそのずっと大きなサイズのものがはえているような形体の植物だ。が、花を咲かせる時期になると中心部から縦に柄を高く伸ばし、その部分にたくさんの渋めのピンクの花を咲かせる。一生に一度の花を。
目を瞑り深呼吸をしてから目の前の銀剣草に集注し、完全に受信モードになる。この花は私に何を語ってくれるだろうか。

画像3

ただただ待っていると、急に花と花と間の緑の柄の部分から裸の女の人が跳び出してきて私にがっつりとハグしてくる。一瞬びっくりしたが、その人は私の肌にぴったりと肌をくっつけ、ずっと抱いてくれている。顔さえ見えないし、ただその肌の温もりと濃い愛情のエネルギーが私の全身に伝わってくる。無償の愛をこの裸の女性は私にくれていた。ブワッと涙が出てえんえん泣いてしまった。そして彼女は言った。「今までの人生のどんな苦しいこと、悲しいことも全部癒してあげる。」

私はすぐに、子供の頃なんども女の子を好きになって、周囲から無言の非難を受け、強い疎外感を味わったことを思った。これは私にとって一生付きまとうことになったトラウマ体験だ。

抱かれている感触から、どうも私も裸のようだ。私は片膝を落としてしゃがんでいたが、その脚の間にしっかりと彼女の脚を絡めてぴったりと肌を合わしている。ちょっと待って。これってかなり濃い抱きしめ方じゃないか。性的に興奮するというのは全然ないのだが、やはり性的な感じは拭えない。だってお互い裸で足を絡めて抱き合っている。

この銀剣草の花の精霊は、必要なだけいつまででも抱いていてくれる。無制限にあふれる愛を私の芯に注ぎ続けてくれる。「すべての傷や影が癒されてあなたが完全に自然の状態に戻るまでいつまでも抱いていてあげる。」
ちょっとびびりそうなくらいしっかり愛してくれる。

インド人の聖者でたくさんの人に一人一人ハグをしてくれるアマチという人がいるけれども、多分こんな感じなんじゃないだろうかと思った。無償の愛を数秒抱きしめてくれるだけで感じさせてくれる、と経験者から聞いている。

画像3

多分30分以上その状態で抱かれていた。濃密な時間。後から考えると、裸の女の人に愛されつつ裸でずっと抱かれているのって、ちょっと気恥ずかしいけれども、そういう個人的な性的なものを超えた体験だ。が、性的であるということが大切なことだったのを次の日になって知る。

翌朝、性的な夢を見て目がさめる。相手はいないが、夢の中で性的に興奮している自分を触っていた。こういうことはここ数年めったにない。明らかに前日の銀剣草の花の精霊との交流の影響だ。そして思った。そうか、私は思春期に女の子を好きになり性的体験をしたけれども、その当時とても負の意識を周りから植えつけられて、私の性はかなり抑え付けられ歪められていた。つまり、自分は女の子であるのに(と当時は思っていた)女の子を好きになりセックスをするなんておかしいと。そして若かったから次々と女の子に恋をしていたので、治らぬ病だとさえ思い、これは一生隠して生きなければならないと信じていた。自分は異常だという意識を強く持った。昭和40年代の、LGBTという言葉なんて誰の意識にもない時代の話だ。そういう過去の体験があるので、この負の意識やトラウマを癒すには、無限大の無償の愛を全身に受けるというだけでなく、それが性的な体験であることが必要だったのだと気づいた。この精霊は、夢の中でも私自身の性に対する歪められたエネルギーを癒す手助けをしてくれたのだ。

自分のセクシュアリティに対する負の意識や負の刷り込みのことを語るにあたって、こんなにプライベートで個人的なことにこだわる自分ってなんなんだろうと思い、完全によしとしていないなと感じる。性のことは、プライベートなことで、それぞれが好きに楽しめばいい、ぐらいにしか人は思っていなんじゃないかと、周囲から負の刷り込みを受けた私は思ってしまう。

画像4

性のエネルギーというのは、人間の生きるための根源の力であり、そして人と深く繋がろうとするエネルギー。人が肉体を持って分離した個として生まれた結果、誰もが孤独を知っているが、その個の意識を超える一体感を体験させてくれるのがセックス。肉体という分離した状態を超えて聖なるワンネス体験をくれる。性の悦びとは、別々の肉体という分離状態から融合、そして統合へと導びいてくれるワンネスの悦びだ。生まれる前の、すべてと繋がっているのが普通の状態を、肉体を持ちながらにして体験させてくれる。高度2800mの聖域に住む銀剣草はその体験をもう一度純度100%で私にくれた。聖なる癒しをありがとう、銀剣草。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?