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33,隣のくまさん(その1)

1992年9月ようやくボクの家が完成した。場所は校舎の北側、生徒たちの寮の隣。若手の先生数人と生徒たちが手伝ってくれたので引っ越しはあっという間に終わった。レンガ造りで外門があり、中庭もある。平屋の建屋は2つに分かれていて奥が僕の部屋、手前が若手の先生、クマさんの部屋だった。僕の部屋の広さは8畳くらい、校舎のときより心持広くなった。台所・シャワー・トイレはない。水道もない。基本的な条件は何も変わっていない。まあ、食堂や水場が近いので少しだけ便利になった。それと働く場所と寝る場所が別々になったので、プライベートは保てるようになった。これは大きい。今後は夜自習の時間に息を潜めて過ごす必要もなくなった。

僕の部屋にはお湯を循環させる暖房(暖器)があった。そして暖器のお湯を沸かすのは隣のクマさんの仕事。隣の部屋には石炭を汲む炉があって、石炭を燃やすことによってボクの部屋もあったまる仕組みだ。クマさんは人付き合いがよく友だちも多い。「気は優しくて力持ち」そんな雰囲気を持っている。ボクとも気さくに接してくれた。暖器のこと以外にもいろいろ世話を焼いてくれて、とても助かっていた。

ただ彼は酒が大好き。夜よく酒を飲みに出かけていたようだ。帰りはだいたい深夜になる。冬、彼が酒を飲みに行くとき、だいたい石炭を汲んで出かけるのだが、何度かそれを忘れるときがあった。ある日の夕方、2,3人の男が彼の部屋に来てしばらく話していただが、そのうち一緒に出て行ったようだ。その時点で暖器はほとんど温もりを失っていた。部屋の中はかなり寒かったが、そのうち帰ってくるだろうとダウンジャケットを着て本を読んでいた。夜10時になっても帰ってこない。部屋はますます寒くなる。外はマイナス10数度くらいか。入り口のドアや窓の隙間から容赦なく冷気が流れ込む。悪い予感。

12時。電熱器でお湯を沸かし、それを飲んで暖をとっていた。いつもは寝る時間だが、これでは寒くて眠れない。ひたすら本を読みながらクマさんの帰りを待った。そして深夜1時。部屋の温度は限りなく外に近くなっていた。クマさんは一向に帰ってくる気配はない。こうなったら、寝るしかない。意を決してまず靴下を2重に履いて、ズボン下も重ねてはいた。上はシャツにカシミアのセーター、マフラーを耳元に巻き付け、仕上げはダウンジャケット。その状態で「オルドスバイチュウ」グイッと煽り布団をかぶって眠りについた。

ほっぺたが冷たい。布団の隙間から冷気が体に巻きついてくる。もしかしたらこのまま凍死してしまうかも。しかし、60度のオルドスバイチュウの威力は絶大で次第に思考がなくなり、いつのまにか眠りについていた。

次の日の朝6時。起きてみると部屋には暖かさが戻っていた。暖器は熱くて触れないほどガンガン効いている。隣からは鼾が聞こえてくる。怒りに行きたかったが、眠気が勝っていた。いつも寝るときのトレーナー姿に着替えなおし、もう一度暖かい布団に入り込んだ。

昼前にクマさんがボクの部屋に来た。「ごめんごめん。昨日は幼馴染が訪ねてきて、ちょっとだけのつもりで飲みに行ったが、ついつい酒が進んで部屋に戻った時にはもう4時を回ってしまった。今度から気をつけるよ。」と屈託のない笑顔・・・。(つづく)

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