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7,その後の授業

授業が始まって1週間後、待望の教科書が届いた。といっても届いたのはボクの分のみ。「生徒の分は今注文しているが、届くまで2、3ヶ月かかる。それまで蝋紙を使ってくれ。」と教務主任からあっさり言われた。

「蝋紙?」教務主任から渡されたのはガリ版用紙。「君はこれを使ったことがないだろうから、特別に使いやすいものを買ってきた。大切に使いなさい。」確かに高級蝋紙と書いてある。

ガリ版を切るのはやぶさかではないが、ボクは小さい頃から字が下手で有名だった。そんなボクの字が書かれたプリントを使って日本語を勉強しなければならない生徒たちは可哀そう。とにかく早く教科書が生徒の手に渡ってほしいと願うしかない。

最初の頃は、とにかく生徒たちの授業のためだけを考えて活動を進めていた。そして生徒たちも本当によくボクの授業についてきてくれた。授業中はとにかくよく声が出ていた。そして徐々にではあるが、個別に当てても、はっきりした声で答えるようになってきた。しかし初日に何気なく当ててしまったどうしようもなく恥しがり屋の「りんご姫」にはその後当てることができなかった。

ある日の授業。みんなで十分に発音の練習をした後、大丈夫かなと思いながらも、思い切って「りんご姫」に当てた。教室全体がシーンとなった。彼女は恐る恐る立ち上がった。、顔はもう真っ赤になっている。「落ち着いて、がんばるんだ」声にはならない声が教室全体を包みこんだ。彼女もみんなの注目を一身に浴びて何とか声を出そうと、体をよじりながら懸命に声を出そうとしている。「落ち着いて、ゆっくりでいいから」とボクが言おうとした時、「りんご姫」は崩れるように座り込み、机にうずくまってしまった。ボクはどうしていいかわからず、「そのうち、きっと言えるようになるから」と言うのが精一杯だった。そして気まずい雰囲気の中、授業を続けた。

授業が終わって、部屋で「可哀そうなことをしてしまった」と反省していると、コンコンとドアをたたく音、開けてみると「りんご姫」が2人の友だちを連れて(あるいは友だちに連れられて?)、ドアの前に立っていた。「りんご姫」の手にはボクがガリ版を切って配った五十音図のプリントが握りしめられていた。

それから部屋で一緒に「五十音図」を見ながら、「あいうえお」を何回も何回も繰り返し練習した。あいさつ用語も少し教えた。ついでに日本のことについても中国語で話した。そろそろ夕食の時間。その子は帰り際、恥しそうに日本語でこう言った。「センセイ、こんにちは。」思わずズッコケそうになったが、なんだかうれしかった。

何日か経った授業で、彼女を当ててみたら蚊の鳴くような声だがちゃんと言えるようになっていた。すごい!「りんご姫」はその後も日本語の成績はあまりパッとしなかったが、とにかく平仮名はみんなの前で読めるようになっていた。それだけでも立派なものだ。

1クラス50人の大所帯、しかも1クラス週4コマしかないということもあって、中国語の説明も板書でどんどん入れたし、会話の発展的な練習はほとんどできなかった。日本語教育の面からいうと問題があるかもしれない。しかしみんな真剣に僕の授業についてきてくれた。そして校舎中に彼らの日本語が響き渡っていた。

「打てば響く」僕の場合そんな授業を続けていった。

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(授業の様子)

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